空想関数開発機構/東京事変「能動的三分間」
面白いこと、やったなぁ。
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「あなたは独りきり…ラーメンを用意して、湯をそそぐ…
待ちながら、そこで、何を想うの?…」
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って、冒頭の英語を解すると、こんな感じになるでしょか。
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東京事変です。
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椎名林檎さん率いる東京事変。
映画の話しじゃありません。
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いま発売中のニューシングル、「能動的三分間」につきまして。
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CMソングになったのは知っていたけど、曲アタマから終わりまでが「三分ジャスト」になっている、というのはテレビで演奏されているのを視るまで、まったく知りませんでした。
もいちど言っちゃおう。
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面白いこと、やったなぁ!
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時間の切り取りを概念として提示してみせた、という点では、この曲に先んじること1952年にジョン・ケージが発表した、「4分33秒」という3楽章からなる「休符だけの無音の音楽」がありますが、
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あれは、演奏者の沈黙する3楽章のあいだに起きる室内でのわずかなざわめき = ドキュメントを「体験」してもらおうという、パフォーマンスアートの先駆けのような発想が、根幹でありました。
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東京事変の今度のシングルは、そのような「大衆性とはかけはなれた」志向とまた、異なるものです。
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「三分間」というのはどうやら、テレビやラジオでプロモーションしてもらうとき、掛けてもらえる、ギリギリの長さであるらしい。
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三分をはみ出る曲は(「はみ出る」という判断は、あくまでも放送局側の都合に合わせたとき、出てくる要請ですが)、「曲の大意が分かれば充分である」という考え方にのっとって、編集されるのが常です。
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2009年、今年の1月1日に自分が書いた文章を引用します。
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「番組の中で、ミュージックは、ばらばらに切り離され、サウンド・データの一種に過ぎないものとして、扱われる(お笑い芸人の人たちの声を使った“着ボイス”なるものが存在します。
音楽も、あの着ボイスと同様の“データ”なのです)」
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ふむ。
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この一文は、以下のような考えのもとに書きました。すなわち、
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創作というものが必然として抱える、複雑巧緻な姿への志向。
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それは解釈するなら、複雑化する「現在」という魔物に応ずるべく、自らもやたらと混み入った思索の網を張り、やがて自分で自分の張った網に囚われて、「出口」の見えなくなる人間の姿です。
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複雑さの中で、人は愚かしくも「生きる」ことの意味を疑うようになり、セラピーやカウンセリングを求め、書記された言語の中に、真実の姿があるかの如く錯覚し、「病気」にかかる。
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このような病気持ちが「病いの種」に気付かぬ限り、複雑さは、疲弊することさえも許さぬ「見えない狭量さ」を軸に、更なる複雑な網を張り、「人間」は、見失われていくだけです。
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そのとき、創作は背中をどやされる。
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凝りに凝った思索の網を突き破る、「作品を“データのひとつ”としか見ない、暴力的なメディアの事情」により、逆説的に「目を醒まされる」ことになるのだ。
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どんなに苦労した創作物も、メディアにとっては、数多あるデータのひとつであるに過ぎない。
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考え過ぎてた…と、ここで気付けば、それが創作物というものを「疲弊させる思索の網」から救う役を果たすだろう…
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と、そんなことを書いたのですが、僕は、思い付きで、これに「脱・作品化」とタイトルを振りました。
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(もうお分かりでしょうが、狂気を体験して後のわたくし、馬鹿げた「思索への上位志向」に対する、「キライ」という感情を殺そうなどとは、夢にも考えておりません。「好き嫌いがない」とか、または「好き嫌いを廃する」などという卑劣な特権的位置に立ってモノを言うほど哀しい立場もあるまい、と思いますので。おや? なぜこんなに攻撃的な態度に出るのか。が、これはこれと、ほっとくとして)
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東京事変は、面白いこと、やったなぁ!
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単なるデータ扱いされることを逆手に取って、創作というものの「息」を、吹き返らせた!
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旧き酒を新しき革袋に注ぐ。
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文学的思弁の「脳の動き」が、すべてをデータ化しようとする現在への「創作物の姿をとった批評」のかたちを持つに至った。
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これは、あの映画「マトリックス・リローデッド」に登場する、『エージェント・スミス』の姿と重なる意志のかたちです。
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言うなれば、すべてをデータ化してしまう「現在」の中に在って、危険で新鮮な位置が成り立ちうることを示した、あの『ウィニー』のような「違法“かもしれない”ソフト」、「バグ」のような創作のかたちなのです。
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この一曲だけで、テクノロジーと「メディアというものの存在意義」と、さらに現在を生きる人間への、とても鮮烈で洗練された「提言」になっている。
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この曲は、何事もすべてを無化するようなデータベース化の「流れ」を逆に「素描」している。
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現在の中で無意味化されていくアーティストたちが、その現在を、これほどくっきりと「絵」に描いてみせる例は少ない。
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大方が「健全な意味での“作為”を潰すもの」としか、つまり単なる無機物としか見なさない現状に、このひとたちは、音色鮮やかな「題材」を見たのだ。
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この曲は、新・現在というものが産み出す、ひとつの「新しいジンテーゼ」にもなっていると思います。
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「データベース化する現在に“肯定”を発見する」ための、ひとつの方法論になっているのです。
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もとより「空想力」というものは、譜面やギターやキャンバスや画用紙の無い、「何も無いところ」から産まれてきたりは致しません。
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空想力は、その発生の端緒から、「媒体」の規定を受ける。
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空想力というものが、どのように膨らむかは、創作家が「どんな態度で、どのような媒体(メディア)と向き合うか」に、大きく関わることになる。
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ヒース・レジャー主演の「カサノバ」に絡めて書いたことがありますが、絵画の歴史に「印象派」という人たちが誕生するには、画家がアトリエの外で、光の下で描けるよう、チューブ式絵の具の発明を待たねばならなかった。
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それと重ね合わせるなら、この曲は、優れてデータ化時代に対応した「新しい印象派」の到来です。
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絵画における印象派が、光と実体との関係について、理論的な裏付けのもとに創作を行っていたように、
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東京事変の作詞作曲編曲にも、「感性」のひと言ではくくれない部分が、ある比重を占めているに違いない。
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楽器の弾けない人にとって音楽とは、ひとつの「かたまり」のように受け取れるものですが、弾けるひとには、様々な要素の絡み合う、「計画的な複合性」として聴こえるはずです。
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そういうふうにこの曲を聴くひとがうらやましいな。
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「放送局の都合」から発したかどうかは僕の想像に過ぎませんけど、少なくとも明らかに今回のシングルは、
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「観念としてのデジタル」
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ということを前提にしています。
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「観念としてのデジタル」とは、何じゃ?
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それは「時間」というものに、“最初”と“最後”という区切りがある、といった「考え方」です。
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「アナログ」に切れ目は存在しません。始まりも終わりもない。
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始まりも終わりもない世界につながれている、と感じるとき、「作品」という完結と連関のどちらをも含みうるものを産み出す人々は、ある種の「疲れ」を覚えるのではあるまいか?
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デジタルなデータベース化が、そうした息苦しさに、ひとつの「破壊点」を見い出すことを、この曲が語っている、と、
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ただ、それだけを結論として、この文を終えましょう。
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この文は、いさぎよい曲に対するいさぎよい感想を述べていると言えるでしょうか?
いや、つまるところ、
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そここに、独創性は、見い出せますか?
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Jack
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