音楽

空想関数開発機構/東京事変「能動的三分間」

面白いこと、やったなぁ。

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「あなたは独りきり…ラーメンを用意して、湯をそそぐ…

待ちながら、そこで、何を想うの?…」

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って、冒頭の英語を解すると、こんな感じになるでしょか。

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東京事変です。

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椎名林檎さん率いる東京事変。
映画の話しじゃありません。

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いま発売中のニューシングル、「能動的三分間」につきまして。

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CMソングになったのは知っていたけど、曲アタマから終わりまでが「三分ジャスト」になっている、というのはテレビで演奏されているのを視るまで、まったく知りませんでした。
もいちど言っちゃおう。

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面白いこと、やったなぁ!

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時間の切り取りを概念として提示してみせた、という点では、この曲に先んじること1952年にジョン・ケージが発表した、「4分33秒」という3楽章からなる「休符だけの無音の音楽」がありますが、

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あれは、演奏者の沈黙する3楽章のあいだに起きる室内でのわずかなざわめき = ドキュメントを「体験」してもらおうという、パフォーマンスアートの先駆けのような発想が、根幹でありました。

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東京事変の今度のシングルは、そのような「大衆性とはかけはなれた」志向とまた、異なるものです。

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「三分間」というのはどうやら、テレビやラジオでプロモーションしてもらうとき、掛けてもらえる、ギリギリの長さであるらしい。

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三分をはみ出る曲は(「はみ出る」という判断は、あくまでも放送局側の都合に合わせたとき、出てくる要請ですが)、「曲の大意が分かれば充分である」という考え方にのっとって、編集されるのが常です。

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2009年、今年の1月1日に自分が書いた文章を引用します。

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「番組の中で、ミュージックは、ばらばらに切り離され、サウンド・データの一種に過ぎないものとして、扱われる(お笑い芸人の人たちの声を使った“着ボイス”なるものが存在します。
音楽も、あの着ボイスと同様の“データ”なのです)」

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ふむ。

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この一文は、以下のような考えのもとに書きました。すなわち、

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創作というものが必然として抱える、複雑巧緻な姿への志向。

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それは解釈するなら、複雑化する「現在」という魔物に応ずるべく、自らもやたらと混み入った思索の網を張り、やがて自分で自分の張った網に囚われて、「出口」の見えなくなる人間の姿です。

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複雑さの中で、人は愚かしくも「生きる」ことの意味を疑うようになり、セラピーやカウンセリングを求め、書記された言語の中に、真実の姿があるかの如く錯覚し、「病気」にかかる。

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このような病気持ちが「病いの種」に気付かぬ限り、複雑さは、疲弊することさえも許さぬ「見えない狭量さ」を軸に、更なる複雑な網を張り、「人間」は、見失われていくだけです。

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そのとき、創作は背中をどやされる。

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凝りに凝った思索の網を突き破る、「作品を“データのひとつ”としか見ない、暴力的なメディアの事情」により、逆説的に「目を醒まされる」ことになるのだ。

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どんなに苦労した創作物も、メディアにとっては、数多あるデータのひとつであるに過ぎない。

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考え過ぎてた…と、ここで気付けば、それが創作物というものを「疲弊させる思索の網」から救う役を果たすだろう…

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と、そんなことを書いたのですが、僕は、思い付きで、これに「脱・作品化」とタイトルを振りました。

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(もうお分かりでしょうが、狂気を体験して後のわたくし、馬鹿げた「思索への上位志向」に対する、「キライ」という感情を殺そうなどとは、夢にも考えておりません。「好き嫌いがない」とか、または「好き嫌いを廃する」などという卑劣な特権的位置に立ってモノを言うほど哀しい立場もあるまい、と思いますので。おや? なぜこんなに攻撃的な態度に出るのか。が、これはこれと、ほっとくとして)

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東京事変は、面白いこと、やったなぁ!

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単なるデータ扱いされることを逆手に取って、創作というものの「息」を、吹き返らせた!

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旧き酒を新しき革袋に注ぐ。

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文学的思弁の「脳の動き」が、すべてをデータ化しようとする現在への「創作物の姿をとった批評」のかたちを持つに至った。

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これは、あの映画「マトリックス・リローデッド」に登場する、『エージェント・スミス』の姿と重なる意志のかたちです。

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言うなれば、すべてをデータ化してしまう「現在」の中に在って、危険で新鮮な位置が成り立ちうることを示した、あの『ウィニー』のような「違法“かもしれない”ソフト」、「バグ」のような創作のかたちなのです。

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この一曲だけで、テクノロジーと「メディアというものの存在意義」と、さらに現在を生きる人間への、とても鮮烈で洗練された「提言」になっている。

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この曲は、何事もすべてを無化するようなデータベース化の「流れ」を逆に「素描」している。

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現在の中で無意味化されていくアーティストたちが、その現在を、これほどくっきりと「絵」に描いてみせる例は少ない。

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大方が「健全な意味での“作為”を潰すもの」としか、つまり単なる無機物としか見なさない現状に、このひとたちは、音色鮮やかな「題材」を見たのだ。

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この曲は、新・現在というものが産み出す、ひとつの「新しいジンテーゼ」にもなっていると思います。

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「データベース化する現在に“肯定”を発見する」ための、ひとつの方法論になっているのです。

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もとより「空想力」というものは、譜面やギターやキャンバスや画用紙の無い、「何も無いところ」から産まれてきたりは致しません。

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空想力は、その発生の端緒から、「媒体」の規定を受ける。

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空想力というものが、どのように膨らむかは、創作家が「どんな態度で、どのような媒体(メディア)と向き合うか」に、大きく関わることになる。

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ヒース・レジャー主演の「カサノバ」に絡めて書いたことがありますが、絵画の歴史に「印象派」という人たちが誕生するには、画家がアトリエの外で、光の下で描けるよう、チューブ式絵の具の発明を待たねばならなかった。

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それと重ね合わせるなら、この曲は、優れてデータ化時代に対応した「新しい印象派」の到来です。

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絵画における印象派が、光と実体との関係について、理論的な裏付けのもとに創作を行っていたように、

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東京事変の作詞作曲編曲にも、「感性」のひと言ではくくれない部分が、ある比重を占めているに違いない。

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楽器の弾けない人にとって音楽とは、ひとつの「かたまり」のように受け取れるものですが、弾けるひとには、様々な要素の絡み合う、「計画的な複合性」として聴こえるはずです。

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そういうふうにこの曲を聴くひとがうらやましいな。

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「放送局の都合」から発したかどうかは僕の想像に過ぎませんけど、少なくとも明らかに今回のシングルは、

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「観念としてのデジタル」

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ということを前提にしています。

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「観念としてのデジタル」とは、何じゃ?

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それは「時間」というものに、“最初”と“最後”という区切りがある、といった「考え方」です。

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「アナログ」に切れ目は存在しません。始まりも終わりもない。

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始まりも終わりもない世界につながれている、と感じるとき、「作品」という完結と連関のどちらをも含みうるものを産み出す人々は、ある種の「疲れ」を覚えるのではあるまいか?

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デジタルなデータベース化が、そうした息苦しさに、ひとつの「破壊点」を見い出すことを、この曲が語っている、と、

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ただ、それだけを結論として、この文を終えましょう。

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この文は、いさぎよい曲に対するいさぎよい感想を述べていると言えるでしょうか?
いや、つまるところ、

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そここに、独創性は、見い出せますか?

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Jack

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超える夢/「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」

「人間?
あたしは人間じゃないわ
“映画界に燦然と輝く大スター”ですの」

『People?
I aint people.
I'm a “A Shimmering glowing star in the chinema firmament”』

(映画「雨に唄えば」から)

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誰かがひとり、「わたしはマイケル・ジャクソン世代です」と言ったとする。

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そのときおそらくその人は、ジャクソンズ時代の少年の頃のマイケルを考えてはいない。

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たぶん「ロック・ウィズ・ユー」などを歌っていた時期の「ようやく“若者”になってきました」といった当時のマイケルのことも、考慮の内ではないはずです。

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ひとが「わたしはマイケル・ジャクソン世代です」という場合、それははっきりと、アルバム「スリラー」発表以後のマイケルを指しています。

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かく言う僕は、もちろんマイケル世代です。

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観てきました!
「THIS IS IT」!

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やー、凄い。
踊る身体の魅力です。

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もしこのコンサートが実現していたら、間違いなく、伝説的なステージになっていたことでしょう。

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それにしても、よくぞ、こんなに撮っていたものだと思います。

短い時間で、よくぞ、まとめました。

(どうやら最初から、コンサートのDVDなぞ、発売する気があったようですね)

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舞台演出は、「ハイスクール・ミュージカル」シリーズのケニー・オルテガ。

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このひとを呼んできたところが、さすがマイケルの慧眼です。

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「ブラック・オア・ホワイト」のマコーレー・カルキンと言い、「スリラー」演出のジョン・ランディス監督と言い、そのときどきで最も華やかな活躍を見せる「旬のひと」を招くのが、いかにもマイケルらしい。

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亡くなって以後、あの「現代思想」を含めて様々なメディアが彼の業績を振り返りましたが、どれも僕には不満な内容でした。

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ので、いい機会ですから自分なりの「語りたい概略」を、記しておきます。

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まず、マイケルという人は、極めて「評価の俎上」に載せにくいアーティストだということ。

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「スリラー」発表の年には、ポリスが名盤「シンクロニシティ」をリリースしてる。

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ライバル的存在だった人物として、マイケル以上の高い芸術的評価を受けていたプリンスがいる。

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そういう人人々に比べて、マイケルという人は「スターではあるけれども、それ以上、どう捉えたらいいのか」が、とても見えにくい存在です。

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この分かりにくい存在について、それを見るときの、ほんのささやかな「提案」をいたしましょう。

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80年代という時代に特別の刻印を押したこのひとを考えるとき、僕は「3人の人間」に分割して考えると理解が深まる、と思っています。

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3人?
はい、それについて述べる前に、いくつか「前提」を確認しましょう。

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現在、ポップ・ミュージックの世界を席巻しているBlack Eyed PeasやNe-Yo、ビヨンセなどを見ていると、「そもそもの始まり」のことを、つい忘れてしまう。

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ラジオやテレビで流される「ポップス」の世界とは、もともと白人たちが作ったものだった、ということです。

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白人たちから評価を受ける歌手として、先駆けだったマイケル・ジャクソン。

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白人を唸らせた!ということでアフリカ系から喝采を受けたマイケル・ジャクソン。

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「褒められる以外にない」というのは、言い換えると、「ほんのちょっとでも“はみ出した”行為があれば、断罪される」という立場です。

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ウケればウケるほど、逃げ出したくなるようなポジションですね。

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今度の映画の中に居るのも、彼に対するリスペクトの言葉を口にする人々ばかりです。

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インタビューを受けるすべての人が、マイケルを褒めちぎる。

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彼は完璧だ…

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音楽を熟知してる…

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最高…

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偉大なアーティスト…

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そうまで言われちゃったら、当人は、どこへ逃げ込んだらいいのか。

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そこで、圧倒的に誰も近付けないような「先」へ進んで、「もはや普通の“人間”であることから抜け出してしまう」――「変身」――、というのは、彼の置かれた状況から自然と導きだせる方向性であると思う。

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もう少し、詳しく見ましょう。

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マイケルは誰もが知る如く「愛と平和」を訴えた人だった。

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必ずしも幸福でなかった生い立ちと、成功して以後の兄弟との確執なども在ったと言われる彼にとって、それは当然の発言――願い――であったかもしれない。

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ですが、そのようなメッセージには、「自分の行動に枷をはめ、自らの首を絞めていく」効果があります。

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曰く、愛と平和を重んじる者は「下品なパフォーマンス」をしてはならない…

(「ブラック・オア・ホワイト」のPV中、最も素晴らしい場面――撮影スタジオに「ぬっ」と現れた黒豹が、そのスタジオを抜け出してマイケルに「変身」し、夜の街頭でズボンのジッパーを上げ下げしつつ車の窓ガラスを割ったりする「激しさ」を見せるクライマックス――は、MTVを見た視聴者からの抗議電話殺到のため、削除された)

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若者の手本にならなくてはいけない…

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麻薬なんぞ、決してやってはならない…

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少年愛なんて、もってのほか…などなど…

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ポップ・ミュージックが愛と平和を唱えた先例として、1969年のウッドストック・フェスティバルがありますが、あそこでは「愛と平和」を歌いながら、40万人とも言われる観客が、みんなして麻薬でラリってた…という裏の事情があります。

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ヤクでへべれけになって、音楽にノリながら、草むらでセックスしてたら「平和」じゃんかよ…

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というイベントでしたので、まったく「公正なる社会規範」などからは解き放たれた、文字通り「自由な」音楽のアナーキーさに満ちていたわけです。

(見てきたように言いましたが、まぁ、そういう話しらしい、ということ)

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マイケルの言う「愛と平和」には、そのような「堅苦しい規範をぶち壊す」だけのアングラなパワーと過激さが欠けていた。

(時代はレーガン保守政権の頃です)

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欠けていたが、それならそれで、表面上どんなに大衆的で品行方正に見える作品にも、規範の網を抜け出すようなメッセージを込めることは可能だ、

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というのがマイケルの基本的な発想ではなかったかと思います。

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正直、苦しい考え方です。

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苦しいですが、それは、ひとに感銘を与える態度でもある。

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「バッド」という曲に込められた「誰が本当のワルだと思う?」というステートメントには、そうした彼の「美しい」とも言える姿勢が端的に表現されてる。

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そうしてその姿勢こそが、「良識を頂点として成り立つ“社会”という“くびき”」を抜け出す自由さにつながる、「変身」への願望をもたらしていたのだと思う。

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繰り返しになりますが、「規範に守られた社会」の合意を形成していたのは、WASPと呼ばれる白人たちです。

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ひと前に立つ者は社会の良識を代表しなければならない。

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それが、広い意味で言って北米世界の「支配層」(守旧派ですね)の態度です。

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このような態度がはっきりと「社会の表」の構造に過ぎないことを示してみせた3人の男がいる。

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1人はマイケル・ジャクソン。ま、これは当然として、

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もう1人はコメディアン出身の俳優エディ・マーフィー。

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そして3人目が88年ソウル・オリンピックの「幻の金メダリスト」、ベン・ジョンソンです。

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エディ・マーフィーについて言えば、彼は新成マイケルと共に、80年代、まだ単に「黒人」と呼ばれていた人々のイメージを一変させた立役者です。

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今でこそファミリー向けコメディに多く登場する「お父さん俳優」として有名な彼ですが、82年――(これが「スリラー」発表の年)――にウォルター・ヒル監督の「48時間」で、けちな強盗犯役を演じて映画デビューしたとき、その印象は強烈でした。

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「48時間」の後、主演した「ビバリーヒルズ・コップ」で大ヒットを飛ばすエディが――(まだ「黒人」として映画に主演できるのは、シドニー・ポワチエくらいしか居なかった)――、守旧的社会規範をぶち破るために頼ったのが「アフリカ系であること」に強い誇りを示す、民族としてのアイデンティティでありました。

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それは、それまで全体としては奥にこもった形だった「黒人社会」に「コミュニティとしての変容」を促すアグレッシブな態度でもあった。

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コメディアン出身の彼は、白人支配層を遠慮会釈なく攻撃し、笑い飛ばしながら、同時に、自分と同じ肌の色の人々に「変化」を迫ってもいたのです。

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そして、ベン・ジョンソン。

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薬物によって己れの肉体を改造し――(つまり変身し)――、ロケット・スタートと呼ばれた走りによりカール・ルイスを破り、9秒79のワールド・レコード(当時)で100mの世界を変えた男。

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ちょっと考えれば分かりますが、私たちの持つ「常識」というのは、それを下支えする広い意味での「人間観」がもたらすものです。

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したがって、社会を変えよう、と本気で願うなら、「人間観を変えてしまおう」という結論に行き着くことになる。

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この考え方の「間」は、すぐつながるはずだと思います。

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80年代というのは、電子ネットワークの中で「変容していく人間性」を主題にした「サイバーパンク」SFが登場する時代でもあるのですが、その事実をかたわらに置くとして。

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3人の「業績」、それぞれに通じるのは、80年代という時代が、それまでサイレント・マジョリティ(声なき多数)であったアフリカ系の人々にとって、白人支配層の作る常識と人間観を抜け出し、新しい世界を産み出す、その気運が見えた時期であったということ。

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つまり、「変容」と「変身」がキーワードになる時代であったという事実。

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そのような動きの中で、自らある種の「変容にとってのスケープゴート」役を買うことになったのが、マイケル・ジャクソンというアーティストであったということ。

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今や「声なき多数派」ではなくなったアフリカ系の人々にとって、「変容する人間観」というものは、縁遠くなっているかもしれない。

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「デンジャラス」以後のマイケルが、なぜ、奇行によってスキャンダルまみれとなっていったのか、現在では理解しにくいでしょう。

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「THIS IS IT」を気に入られたら、マイケルが88年(ソウル・オリンピックの年)に製作・主演した「ムーンウォーカー」という映画をご覧になるのをお薦めします。
(有名な「スムース・クリミナル」のPVは、この映画からの抜粋です)

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ビートルズの「カム・トゥゲザー」を熱唱するマイケルが観られるだけでも必見ですが、この映画で展開される「変容」についての彼のイメージは、本当に凄まじい。

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変容と変身。

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いまだ位置付けられない80年代最大の関心事には、これからも、折りに触れてスポットが当たり続けることでしょう。

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マイケルは、その死でなく生によって、考察の対象となり続ける存在になったのだ。

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Jack

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音楽の泉/Black Eyed Peas「The E.N.D」

「歴史」

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という考え方は、ロックの中に、在るでしょか?

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カヴァーソングを歌う、というロック・ミュージシャンは、昔からいた。

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ジョン・レノンがチャック・ベリーを歌ったり、ヴァン・ヘイレンがロイ・オービソンの曲をアレンジしたり、「カヴァー」というのは、珍しくはありません。

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さらに言うなら、ストーンズもビートルズも、初めはアフリカン・アメリカンの人たちが歌っていた「生活音楽」としてのリズム & ブルースを「かっこいい!」と思って音楽の道に入ったところがありますので、「ルーツに対するリスペクト」のようなものは、既にある。

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が、

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ちょっとカタく言いますが(カタく言う必要があるんですが)、彼らのしたことは、

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「歴史を刻む行為」

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だと言えるでしょうか?

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僕は、「HIP HOP」という形態が登場するまで、ポピュラー・ミュージックの世界に、「歴史」という考え方は無かった、と思っています。

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Black Eyed Peas です。

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Black Eyed Peasの最新アルバム「The E.N.D」です。

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前の「MONKEY BUSINESS」や「Elephunk」のほうが、実は好きなんですが、それはともかく(そのへんは、僕のトシと関係がある、と思っています)。

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今回のアルバムでは、DVD付きバージョンが発売されておりますので、安室奈美恵さんについて書いたとき(2008/8/17 「芸能・アイドル」参照)と同様、まぁこれも映像作品に入れちゃおう、ということで…

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HIP HOPと言えば、「ラップ」に「スクラッチ」、「サンプリング」と、様々な手法を取り込んできた音楽ジャンルでありますが、

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このうち、「サンプリング」について、申しましょう。

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わたくし、サンプリングという手法を初めて耳にしたときから今に至るまで、根本的には理解できていない人なのです。

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いや、電子音楽や現代音楽や、あるいはYMOがやっていたようなサンプリングなら、分かる。

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それは木々のざわめきのような「自然音」や「人の声」などを録音し、シンセサイザーによって自動的に音階をつけ、「誰も考えつかなかった新しい器楽」として、曲の中に組み込むことを意味しました。

―――――

HIP HOPのサンプリングは、これとはまったく異なります。

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既に在る「ヒト様が作った音楽」の中から、特徴的なフレーズを切り出し、それを複数回組み合わせて、どう聞いても原曲と大きな違いがあるとは思えない作品を作って、その仕上がりを、

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自分たちのオリジナルの「新曲」として、提示してくるのです。

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そのとき問題になっているのは作曲手法というよりも、

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編集の方法

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だと言えます。

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Black Eyed Peasで言うと、「MONKEY BUSINESS」に収録された1曲目の「PUMP IT」は、映画「パルプ・フィクション」や「TAXi」のテーマソングとなった「ミザルー」という曲を、ほぼそのまま丸写ししたものだし、

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同じアルバムの最後のほうに収められた「UNION」という曲は、なんとスティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」の歌詞だけ変えて「ラップを添えました」、と言ったほうがいいような代物です。

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「孤独な英国人」を歌った歌を採用し、「世界の連帯」を謳いあげる…。

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ここに、編集の意図があるわけですが、思い出すのは、美術の世界の出来事です。

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マルセル・デュシャンは、どこからか手に入れた男子用小便器を美術館に持ち込んで、

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「泉」

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とタイトルを付けるだけで、自分の作品として、世に認めさせてしまいました。

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HIP HOPのサンプリングは、このデュシャンの発想と、基本的にはよく似てる。

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何を作ったか

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ではなく、

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なにを採用したか

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が、より問題にされているのです。

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男子用小便器がアートとして認定されたあとでは、人々は、街角の公衆トイレにも「創作物」としての要素が置かれているのだ、と

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初めて認識することになるでしょう。

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「作品」という概念が無かった世界に、その概念が導入された“瞬間”を、僕たちは、知ることになるのです。

(それは、デュシャン本来のイタズラっぽい意図からすれば、イト可笑しく、ズレたことかもしれないんですけども…。

いや、こりゃまた、別のハナシ)

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これを、サンプリングという手法を使う、現代のポピュラー・ミュージックの世界に置き直して、見てみましょう。

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「ルーツ」とは、なんぞや?

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この問いを、誰にも解るかたちで発したのが、HIP HOPだと言える。

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ビートルズにせよストーンズにせよ、はたまたヴァン・ヘイレンにしたところで、

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「R&Bの影響が認められる」

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ということを漠然と指摘され、「“ある流れ”が感じ取れる」ということを、感覚的に、外から批評されていただけだった、と思います。

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HIP HOPは、サンプリングという手法によって、自らの出生地がどこにあるかを高らかに宣言した。

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ルーツ =「自分らの前に横たわる歴史」を、引っ張ってきたのではありません。

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歴史を参照したのでなく、その原曲を採用することによって、「ここに、歴史が創られた」と、いささか大言壮語めいた「発表」を行ったのです。

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これはポピュラー・ミュージックの在り方にとって、デュシャンの「泉」が世に出たときと同じくらい、革命的な出来事です。

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音楽が「歴史を構築しよう」とすることは、すなわち、「ロック」の否定でないのか。

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「♪ ロールオーバー・ベートーベン」と歌って、堅苦しい歴史に支配されてきた音楽を、

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「音楽史についての教養」がモノを言った音楽を

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解放したのがロックだったのじゃなかろうか。

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HIP HOPのサンプリングとは、ロックにとって、「淡い憧れ」でしかなかったようなルーツというものを、極彩色のクリアな映像のようにはっきりしたかたちで位置取りし、

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自分たちのよって立つ「ポジション」を明らかにしようとしたものです。

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それは「♪ ベートーベンをぶっとばせ!」と歌ったロックが、「分かりやすさ」をどこかへ置き忘れ、

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既に死に体となって久しいことを受けての動きでないだろか。

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それは、音楽というものが高度に多様化し、複雑化し、ジャンルはおろか、「なんのための創作なのか?」という根源的な疑問が生じているときに、

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ひとつの大きな異議申し立て =「アンチテーゼ」として機能する、とても解りやすい「簡略化」の発想ではないだろか。

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自分らがどういう意図を持って、

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誰を参考にし、

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誰に向けて作品を作ったのか、

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それを「クリア」にする手法なのです。

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フと思い立って、僕たちの周りを見れば、誰がなんのために作ったのか、高度なディシプリン =「学習された教養」を求めるような創作物が、いつの間にか、いっぱいです。

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作ったときから既にして「産まれてすみません」と言っているような、罪過と償いを同時に体現しているような、分かりにくく鬱屈した表現の時代は、もう終わりにしませんか

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…と、いうのが、HIP HOPのサンプリング手法の本質ではないか、と考えます。ふっふ。

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今回、アルバム「THE E.N.D」で、Black Eyed Peasは、サンプリングという手法を封印しました。

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宣言して自分たちのポジションを明らかにする必要がなくなったから、と見ましたね。

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「BOOM BOOM POW」というシングルカットもされ、全米No.1になったアルバムの1曲目に、彼らの意図は、よく出ている。

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「♪ あんたは千年、遅れてる」だって。

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いーじゃないの ♪
いいんじゃないの ♪

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流行りのデジタル・サウンドを全面に採り入れて、

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今どきの音楽地図の、いちばん突端の部分を俯瞰してお聴かせしましょう

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、というわけです。

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ワールドミュージックを意識したりする、これまでの細かい目配りは敢えて捨てて、

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音楽に夢中になる若い世代が入り浸るような、アングラ的なナイトクラブの感じで一杯です。

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すべてをデジタルサウンドに委ねて、朦朧と身を踊らせる「若さ」のための音楽。

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一見無機質な、機械的音響の奥から、

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いちばん活きのいい、ポピュラー・ミュージックらしいポピュラー・ミュージックをお届けします

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という宣誓が伝わってくる。

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いや、実を申さば、正直な感想として、

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あと二十年早く、このアルバムと出会いたかった。

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おそらくヘッドホンで、のめり込むように、ひとつひとつの音に耳を傾けたんじゃないだろか。

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息継ぎなしで全力疾走している雰囲気が、いかにも「若者のための音楽」です。

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「若さに対するメッセージ」というと、ついつい「夢を信じて、負けないで」なんて言いたくなったりしますけど、それを言わないで先鋭的につっぱらかってみせることで、「体現」している、という辺りも好もしいと思うんだなぁ。

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(ワールド・ツアーで、日本にも来るようですね。

どんなステージになるんでしょうか)

―――――

Jack

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