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死の傑作が遠からず/「僕の初恋をキミに捧ぐ」

思い出すのはいささかうっとおしいですが、僕は、程度の重い小児喘息でありました。

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経験から言いますけども、何かの発作で苦しむひとが、前向きに「頑張れ、自分。負けるな、自分」などと己れを励ますことが出来るのは、三日三晩が限度です。

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それを過ぎると、ただ、(この苦しみを終わらせて…)と、願う以外になくなります。

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横隔膜が痛くなるほど激しい咳を繰り返し、苦しいのでふとんに伏せるわけにいかず、結局、椅子に座ったまま、机に突っ伏して何十時間も過ごすことになる。

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当然、眠れないので、意識がモウロウとしてきます。

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繰り返される咳の発作と呼吸困難。

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食事なんか取れません。

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このまま、死んじゃうんじゃないのか?…

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と、そう考えたことも何度もあります。

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しかし、「こんなに苦しむくらいなら、死んでしまいたい…」などとは、いっぺんも思ったことがなかったな…。

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僕が小学校に上がる頃の話しです。

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「僕の初恋をキミに捧ぐ」

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僕は8才のとき、最低の約束をした…

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守れない約束を。

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幼い頃から心臓の病を抱える少年・逞(岡田将生)。

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その彼の恋人になる少女・繭(井上真央)。

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ふたりは、大人になったら結婚しようと誓い合う。

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二十歳まで生きられない、とされる逞と、彼に対してひたすら「一途」な繭の恋愛は、順調に育まれていきますが…

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僕たちふたりの恋愛にはタイムリミットがある。

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とは、逞の台詞。

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ふたりの想いの結末は…

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えー、実は、原作を読みまして。

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ふーん…

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平板に流れそうな話しを、ずいぶん繊細に描いてある…。

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ってんで、興味を持って、映画を観に行ったのでございます。

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結果。

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いやー、久々に、心すなおに「凡庸」と言える一本です。

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主演の二人の魅力を除いて、観るべきところは、ほとんど無いす。

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見るひとが見れば、逞の恋のライバル・鈴谷昴役の細田よしひこくんが気になる、かな?
ま、それは余談。

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つまらなかったのに書く気になったのは、以下のような理由による。

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ご存知の通り、近年の日本映画界における「僕は(あたしは)死んじゃうけど、君の(あなたの)こと、最期まで愛してる」式『愛と死を見つめて』ジャンルの躍進には、本当にめざましいものがあり、「どんな終わり方をするか、容易に予想のつくもの」に、なぜ、これほど人が集まるのか、いい加減、この辺で少し触れておいてもよさそうな、そんな気がするのです。

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なにしろ、あーた、「たかだか死んじゃう、っていう“だけ”」の話を語らんとして、実録あり、ケータイ小説あり、マンガあり…

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「死んじゃうひと」も、N澤MみさんをはじめとしてM浦H馬くん、A倉N々さん、O沢Tかおさん、T村M和さん…と、性別・年代、多岐に渡る。

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なぜに、みんな、死に急ぐ?

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いや、多くは「感動しましたぁー!」という声援に支えられているようなので、水を差すのもなンだし、簡単にチャチャは入れますまい(あ、いやいや、そう言っといて、こうして入れるのでありますけども)。

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言いたいのは、2つのことです。おっと、

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正確に言いましょう。

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この流行りには、2つの「日本社会からの要請」が込められている…縮めるなら、2つの視点が隠されている、と思います。

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まずひとつは、「●●くん(●●さん)が好きっ!」という誰にもありがちな、実に素朴な情緒の揺れ動きから解き起こして、一気に人の「死」までを理解しようとする、一見謎めいた欲求です。

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これには明白な解答が付けられる。わりに平凡な解答です。

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死のことが解れば、「人生」についての理解が深まると思ってる。

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「生き方マニュアル」のようなものが、手に入ると、どうやら信じたいのです(ん? 誰が?)

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この観察は、俗流の精神分析から、導き出せる。

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異性に対する憧れが「性」に対する欲求へと高まるとき、そこに日常的な昼間の世界、つまり「生の日々」を突き抜けようとする夜への欲求、「死への欲動」が働いている…というのが、フロイト式精神分析。

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そう聞かされても、驚きはないでしょう?

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あなたが、僕と同じ、日本人だからです。

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西欧にはショックを与えたフロイトの考えが、日本人にとってはさして意外なものでない気がするのは、故なきことではありません。

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我が国では、「あの瞬間」、かの絶頂の瞬間を「逝く」と表現するわけで、聖なる営みに死の影が漂うことは、素直に性を受け止める人には、驚きではないのです。

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他方、英米文化圏では、同じ瞬間を「I'm Coming」と表現し、これはアキラかに、日頃は地上の不浄と離れている「神の世界」、天上との合一を暗示するひと言です。つまりですね、

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英米の女性は、あの瞬間、もはやベッドの上にはおらず昇天しており、「I'm Coming」と口にしているのは、天より降りてきた聖なる意識であるのです。

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(実際には「イってない」のに、演技をする女性がいます。聖なる「儀式」が演じられているわけですね)

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この美しき性の高まりに「死の影が差している」なんて言われたら、衝撃を受けて、当然です。

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その衝撃も過去の話し。

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「愛すること」を追いつめていくと、その究極には「死への欲望」が見えてくる。

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「死」は退屈な日常をぶち破り、我々をものの見事に浄化する「感動のエンターティンメント」を喚起するのだ

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…と、いう思想が、少なくとも日本映画の世界においては、もはや常識のようになってしまっておりますが、日本にもともと「逝く」という表現にまつわる性的風習が在ったにせよ、それを思想的に分析した――フロイト的考え方が輸入された――歴史は浅く、日本精神分析学会が発足するのは、1955年のことです。

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で、

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思うのですが、近年の日本では、この考えを逆にたどり、

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死を見つめていくと、「愛のなんたるか」が理解できる

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、という思考に傾いている気がします。

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なぜ、そんな風になっているのか?

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逆説めきますが、「愛」についての解釈が安定していないからじゃないでしょか。

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これが、本日言いたい、第2点。

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「愛」についても「死」についても分からないので、両者を共に、その起源からたどってみれば、2つが2つながらにして、「白日のもとに」明らかになるではないか、と思ってる。そう期待してる。

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「僕の初恋…」でも、無情な死の宣告が、二人の主人公の「愛情の深まり」をもたらす「契機」として、紹介される。

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彼を好く彼女は、愛をもって、二人を引き裂く死を乗り越えようと試みる。

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「愛」が「死」と同等の価値を持つとき、初めて「愛情についての認識」が輝きだす、というのですから、これはもう、「“愛”とはなんなのかが、『日常的なレベル』にあっては、さっぱり分かっていないのだ…」と、結論付けるよりありません。

(などと書くと、当然の如く、「そう言うおまえは、分かっているのか?」という指摘を受けそうです。ご遠慮なく。そして、どうぞ、あなただけの愛を見つけてください)

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なんだか煙に巻くようなことばかり、書いていますね。

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さらに煙に巻くようなことを述べますが、英米文化圏的意味の「愛」とは、本来、極めて不安定な概念であり、そう簡単に解らなくて当然です。

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アチラの方は、パートナーを残して出かけるときも、外出先から電話するときも、ひじょーに頻繁に「I love you.」と口にしているでしょう?

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そう言わなければ崩れてしまうほど、「愛」というものが足場の不安定なものだからです。

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日本に昔から在った「愛」の字は、もともと御仏の「慈愛」から派生していたものであり、男女の性愛を表していたわけではありません。

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明治になって、「LOVE」という言葉が入ってきたとき、「愛」の字を当てたのは、ニシ・アマネあたりではないか、と想像しますが、導入から百数十年を経た今、

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若い世代を中心に支持される、あちこちに氾濫する「愛と死の物語」には、もともとよく解らない崩れやすい「愛という観念」を、我流で更新しようとする意図が込められている。

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それは、「死」というものを覆い隠し、結果として「生」の輝く場をもふさいでしまった英米的現代観からの脱却を図ろうとする日本の試行錯誤のように見えるのですが…

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それをお手軽に、

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「感動してよ!」
「感動したよ!」

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というやり取りにまとめて済ましているだけではなぁ…

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「死」と「愛」がポップに消費されて、「鬱屈した若さ」もまた消費されるのみで、再び晴れ晴れとした、そして同時にどんよりした、何もさらけださない「日常」がやって来て、それまで。

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…ということになるのではないか、と危惧する僕です。

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いや。
お手軽な消費財としての「愛」や「死」を漫然と売るのが現代芸能なら、そういうはっきりした停滞を打ち破るのもまた、優れた芸能の力であり、

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僕は、アクティブに「待とう」と思います。

(だから、こうして、書きました)

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氾濫する「愛と死の物語」は、一面で、俳優たちの魅力的な存在感(つまり「生命力」ですね)を新たに開発する役をも担っており、

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彼ら彼女らを最高のかたちで演出できる人々も、遠からず現れることでしょう。

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そのとき、観客は言うに違いない。

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「傑作ね! やっと、来たぁ(Coming)って感じじゃない!」

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と。

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Jack

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