空洞/「しんぼる」
やー、やっと観られた!
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「しんぼる」です。
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観たかった。
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いろいろ都合で劇場に行けず、「まぁ大人気のようだし、もうしばらく放っといても、上映はしてるだろう…」と、高をくくっていましたら…
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ん?
なんだ?
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あれあれ、
「大人気」ってわけでもないのか…
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yahooのレビュー見ました。
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そうか…
賛否両論、ていうやつか…
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いかんな、どうやら、早く観に行かないと、終わっちゃうな。
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…てんで、観てきました!
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結果…
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やー! 僕は、「賛」のほうですね!
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「賛」の上に「大絶」を付けたいです。
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かーなり面白いじゃないの。
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取り上げたテーマの「料理の仕方」が、たいへんエレガントで、見せ方も、要所要所でとても巧い!とうなること、しきりでした。
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その「テーマ」について、いろいろと言いたくなる映画でもあるんですが、あー、言っちゃうと、「ネタバレ」ってことになるんだろうな…
(しかし、「ネタバレ、ネタバレ」って、いつから言い出したんでしょう? そんなにうるさいこと言ってたら、淀川センセや植草甚一さんの映画解説なんて、まったく成り立たないことになるし、内容にチビッと触れるだけでもピリピリと目くじら立てるなんて、「映画を巡る環境」を楽しんでないね。どうかしてます、ほんと)
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メキシコの田舎に住む、とあるプロレスラーとその家族のお話。
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特にどうということもない日常が、淡々と綴られます。
今日は試合のある日です。
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一方、
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なんの関係があるのか、まったく説明の入らぬ場面。
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真っ白な壁で四方を仕切られた大きな部屋。
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天井は遥か見えないほど高く、上空からは太陽が照らす如く、明るい光が差している…。
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この部屋に、パジャマ姿の男(松本人志)が閉じ込められている。
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観ていくと分かりますが、この映画、「なぜ閉じ込められたか」を問うことには(まるで人生のように)意味がない。
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男は、なんとかして部屋から出ようと試みますが…
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さて、メキシコのお話と、この部屋のエピソードは、どういう脈絡で一本の映画にまとめられているのでしょうか?
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あのですね…
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この作品の中身について、どう触れたらいいかな、えーと…
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あの…「世界観」ていう言い方があるでしょう?
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恋愛映画でもアクション映画でも、「この作品の世界観は…」なんて言う。
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もっと分かりやすい例を引くなら、「ハリーポッター」のようなファンタジーや「ウルヴァリン」のようなSF。
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「世界観」の描き方が決定的な意味を持ちます。
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で、
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これは、松本人志という人が、「おれは“世界”というものを、こういうものだと認識してます」と表明している、一種のプライベート・フィルムです。
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その認識というのは、ひとくちに言って、「世界とは、なんとも、おかしい」というものです。
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もちろん、この「おかしい」には二重の意味が込められてる。
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「おかしい」という単語に、「笑える」という意味と、「狂っている」というもうひとつの意味が、重ね合わされています。
(実際に笑えるかどうかは、別問題です。
コメディ映画としての角度からは、飛びすぎてて、僕は笑えませんでした)
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「笑っちゃう」ということと「狂っている」ということが並立するような、そんな映画的テクストとは、どのようなスタイルを取るものか。
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今まで何人もの監督がこの問いに挑戦し、その中には、キューブリックの「博士の異常な愛情」のような大傑作や、スピルバーグの「1941」のような意欲の空回りした不発の作品や、いろいろとありますが、
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そうした様々なメタ・フュシカ(形而上学)的「世界への興味」を提示してきた映画群の中にあって、この「しんぼる」という作品がユニークなのは、
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「まず“世界”なるものを成立せしめている枠組みには、狂っているなりにルールがある」
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という観点を見せてくれるところでしょう。
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閉ざされた部屋からの脱出を試みる男は、「あるシンボル」以外に何もないその部屋が、一定の規則に支配されているのに気づく。
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彼は、その「支配の規則」にたちまち、順応していってしまいます。
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そうすることが、「脱出」の鍵になるのではないかと考えて。
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メタフィジーク(哲学)的でありながら、現実に生きる「子どもから大人へと、今まさに変化しつつある人々」が、いかにも取りそうな態度の「暗喩」になっているでしょう?
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支配の規則に気づき、それに乗っかり、さらに利用しさえすることで、彼はなんとかして状況を逆手に取り、「知らぬ間に与えられていたテリトリー」の“利用者”の立場に立とうとする。
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誰もが、社会人になるとき、経験しそうなことですね。
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ひとが社会人になる、ということを一面から捉えるなら、それは様々な新体験への感想を持つに留まっていた思春期を「脱出」し、自分の人生の「主役になろう」とする時期だ、と言えます。
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観客であることから主役になることへの「立場」の移行。
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しかし、移行したところで、彼/彼女に「世の習い」のすべてが解るわけではありません。
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ありませんが、それでも人は、たいていのことについて、「解っているフリ」をしなくちゃならない。
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脱出の努力を重ねるうちに、人は知らぬ間に、そうした如何にもうさんくさい立場を選ばされてしまうのです。
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映画は、その辺りのことについて、一見ミニマルに、実は非常に巨視的に描いています。
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『〈主人〉は、構造の本質的欠如の場所に自分がいることに気づくと、自分がその剰余――構造からこぼれ落ちる謎のX――を掌握しているかのように行動する』
スラヴォイ・ジジェク「汝の症候を楽しめ」:鈴木晶 訳
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僕が「ああ、これは、ものすごく面白いなぁ…」と思った最大の要点は、
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追い詰められた末の狂気がどこへたどり着くかを「じっ…」と見つめていくと、結局、「2001年 宇宙の旅」のボウマン船長のような“役割”がある、という推論に行き着くんだな…というトコです。
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狂ったコンピュータ「HAL」が支配する宇宙船を脱出しようと必死になるその果てに、ボウマンは、巨大な秘密があるのに気づく。
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もちろん想像の域を出ませんがこの映画、「2001年…」から大きくインスパイアを受けている、と見ましたです。
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繰り返しますが、中途半端に終わるかに見えるこの映画には、きちんとした結論があります。
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「世界は、なんとも、おかしい」
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松本監督が芯からの芸術家だと思うのは、「おかしいから、こう生きるべきだ」とは言ってない点です。
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かつてトリュフォーが言った如く、「芸術家は何かの提言をするのでなく、ただ、見せるだけ」が仕事です。
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こういう映画を観て、「1800円かえせ!」とか言ってる連中の気が知れない。
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わざといたずらにペダンチックに書きますが、松本人志という監督は、「極めて充実した空洞」のような作品を作ってみせた。
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「充実した空洞」
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というのが、モチーフとして優れて現代先進国的であることを述べて、今回は終わりましょう。
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その辺りについて、つまり充実した空洞について、もう少し突っ込んでみたい人は、この映画を観たあとに、「2001年…」と同じくキューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」なんかを観るといいです。
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(“なんにもない”っていうことに凄味を見るか、腹を立てるか…、なんとなく若いひとのほうが怒っちゃいそうな気もしますね。日本も含めた先進諸国が「若くない」ってことの、ある種の証しでもあります。
いま、若いひとには面白くない時代が続いているのかもしれない、ということが、ひとつ気がかりではありますが)
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Jack
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