脱け出して/「96時間」
サスペンスの巨匠アルフレッド・ヒチコックは、生まれ故郷のイギリスを、「島国根性の国」と呼んで、うんざり気分をあらわにしたことがあります。
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日本サッカーをW杯に導いた立役者・中田英寿選手が日本マスコミやサッカー界の体質を嫌い、早くから外国へ出ようとしていたことは、有名です。さて。
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例によって、また、何を言いたい?
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今日の主役、リュック・ベッソンもまた、フランス映画を巡る状況にがっかりして、どうやら「脱け出したい」と思ってハリウッドに来た人だと思うんです。
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「脱け出したい」と思った人が、どうやって満足を得るのか、が本日のテーマです。
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「フランス」と言いますと、ファッションの国であり、エスプリの国であり、それから例えば絵画の「印象派」を生んだ国であり…
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…と、並べていくと、どこか柔らかい、一事が万事繊細な、言葉のはしばしにニュアンスのこもる、香り高いワインの如き「文化ぁーッ」て感じの漠然としたイメージになりますが…
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そういうステレオタイプなフランス像を激しく嫌うのが、例えばレオス・カラックスのような人たちです。
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この方々の特徴は、何も知らずに「お洒落なフランス映画」を期待して劇場へ入る人の横っ面を張り飛ばすような暴力的な描写にある。
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カラックスほどそのテクニックが練られてくると「これはこれで芸術か…」と納得させられてしまいますが、そうでなくとも、ジャン=ジャック・ベネックスの「ディーバ」の原作小説なんて、非常に野蛮な内容だし、マチュー・カソヴィッツ監督の「クリムゾン・リバー」なんかも、わざとらしいゲテモノ礼賛の気分に溢れているし…
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フランス製のペーパーバックを何冊か持ってますが、どれも、問答無用でマシンガンを乱射する場面が次々出てくる、非常に安っぽいものです。
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一面で、フランス人の「粗暴」への憧れというのは、確かにあるんですよ。
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なんででしょうね。
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我々日本人も、外国人から「大和魂・フジヤマ・ゲイシャ」…歌舞伎に能に、と並べられると、ちと閉口すると思うんですが(いや、一向にベッソンの話しにならないな)、
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それは、それらの香り高い「文化」そのものがダメダメだからというわけでなく、
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そうしたものばかりを持ち上げる姿勢というのが、知らず知らずのうちに、多様体としての文化現象を、凝り固まった、とても窮屈なカッコ付きの「文化」の枠組みへ組み入れて殺してしまうからだ、と言える。
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カッコ付きの「文化」がなぜ「殺すもの」だと言えるのか。
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それは、個々の(多様な)人々の存在をどこかで無視し、無条件に「共同体」の力だけを押し上げていくことになるからです。
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なんだって?
はい、ちょっとややこしい。
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どうせややこしいんですから、もう少しややこしい言い方しますが、
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どんな性質のものであれ「共同体」というものは――国家、ふる里、教室、会社…なんでもけっこう――そこに「集合体」として出来上がっているだけで、もう既に、ある種の「権力装置」の様相を持っています。
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詰まるところ、どの共同体でも、誰かが決めたものであれ、うやむやのうちになんとなく出来上がってしまったものであれ、侵してはならぬ「タブー」のようなものが存在するでしょ?
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そのタブーは、あなたの行動を抑制し、規定し、「共同体の一員」としてのあなたを形作る規範になっているはずです。
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で、ですね、
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もうひとつ。
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共同体というものは、なんによらず「より堅固に、より強い結び付きの集団に」なろうとする性質を持ってますので、「強くなろう」とする過程で、どうしても、より多く、より厳しく「我らのルールに従ってくれ」という申し出を、個人に突き付けてくるのです。
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これに気付いた人々にとって、「いかに『共同体からの強制力』を取っ払ってしまうか」が自分なりに編み出せない限り、「自由」というのは文字通り「絵にかいた餅」になってしまいます。
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最も「簡単に見える」解決法は、その共同体を出てしまうことですが、ではと言って、ジャングルにでも引っ込んで独りで暮らすというのでしょうか?
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イギリスの島国根性を嫌ったヒチコックも、結局はハリウッドでB級監督のレッテルを貼られ、苦労することになったし、中田選手もイタリアのマスコミに嫌気がさしていったようだし…ご覧の通り。
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どこへ行こうと、なんらかの共同体に参加しなければならないことは、分かっています。
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共同体の成員でありつつ、なおかつ強制力を振りほどくことの出来るような、そんな「上手な強さ」を身に付けることは出来ないでしょか。
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「上手な強さ」は、出来るだけ、「ステレオタイプな文化像」の対極にあるほうがいい。
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分かりやすく簡単なほうが、カウンターカルチャーとしての力を発揮できるからです。
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はい。
と、こんな理由でエスプリの国フランスには、暴力の国アメリカにさえ見かけないような「フランス的な、あまりにフランス的な」粗暴さが存在する、というわけです。
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で、今回取り上げる「フランス人のハリウッド映画」が、
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「96時間」
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原題は「TAKEN」。
シンプルそのもの。
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連れ去り。誘拐の話です。
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元CIAの工作員ブライアン(リーアム・ニーソン)。
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別れた妻(ファムケ・ヤンセン。「007・ゴールデンアイ」の悪い悪いボンドガール。変われば変わる)との間に、17才になる娘(「LOST」に出てたマギー・グレイス)がいます。
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この娘が友達と二人でパリまで旅行したいと言う。
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ブライアンはやや過保護な父として、外国なんて危険なだけだと反対しますが、母娘の勢いに押されて、しぶしぶ承諾いたします。
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が、父の心配は現実に。
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着いた矢先のパリ市内で、娘たちは、誰とも分からぬ連中にさらわれる…
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この父親、パリ警視庁に話すなんてことはしない。
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現役の工作員そこのけの能力を発揮して、単身、さらった奴らを追い始め…
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やれやれ、やっと名前が出せる。
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リュック・ベッソン制作・脚本(共同)。
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ハリウッド作品なので、多少「まろやか」になってますが、それでもフランス的な「やりすぎ粗暴」さを充分残したアクション映画。
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年端もいかぬ娘をかどわかすなんて、悪い奴らに決まってる、と。
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容赦するな、と。
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次から次へと現れる「悪党」たちを、
叩きのめす、
制裁する、
撃つときは撃っちゃう、
まぁ凄まじい。
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ベッソンがアメリカを本拠地にしたのは、たしか最大の野心作「グラン・ブルー」がフランスで酷評されてからのようですが(酷評だったそうですよ。なんででしょう)、以来うっぷんを晴らすような、と言いますか、「おらおら、邪魔だ! どけぇっ!」…って感じの作品(「作品」などと、もったいつけて言われるのも、なんとなく嫌そう…)が、目立つように思います。
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この「96時間」も、そういう一本。
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ジャック・バウアーも真っ青の、問答無用な猪突猛進ぶりがウケたか、米国では1億ドルを超すヒットでした。
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このベッソンてひと、不思議なアンビバレンツを持っていると言いますか、ちゃんとした、殴り書きでない「作品」を作りながら「作家」扱いされるのを、拒否したがっているようなところがある。
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それが、最前から申し上げている「自由」に関わる姿勢だと思うんです。
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フランスは高校から哲学を習い始める「思想の国」でもありますので、こういうときには思想の言葉を援用したい。
(けど、「思想の援用」などというのは、高校を中退して映画の道へ飛び込んだベッソンにしてみれば、噴飯モノの行為でしょうが)
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「脱領土化」
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という、いい言葉があります。
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これは、ドゥルーズ & ガタリの「アンチ・オイディプス」の中で、しばしば出てくる用語です。
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えいっ! とおおざっぱに言ってしまうと、このひと言は、
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「その土地その土地の習俗・慣習に根差した、地域にしばられた『集合意識』すなわち“しがらみ”のようなものを抜け出して」
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という意味です。
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だったらややこしく言わないで、そう書けばいいじゃないか、とも思いますが、頻繁に出てくる言葉なので――つまり、頻繁に、同じ考えを繰り返しているので――、いちいち「土地のしがらみがなんちゃらかんちゃら」なんて何度も書くより、えーい、新しい熟語にしちまえ、ということだったのでしょう。
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そういう「めんどくさいから『単語』にまとめます」という作業のことを
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概念化
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と言います。
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この二人の考え方は、たいへんユニークで面白いのですが、「概念」を次々発明して使うことで、共同体の強制力を振り払い、「脱け出す」ことが出来るという発想です。
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これは、「作品扱いされないようにした作品」を次々作ることで、一種のコスモポリタンとしての自由を得ようとするベッソンの姿勢と、つながっておりますです。
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「表現者として、どう自由を得るか」という大テーマに、通じ合うものを見ることが出来るのです。
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そうして、それは、
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結果的にその表現を受け取る人をも自由にする力を持つはずだ、というたいへん楽天的な思考の産物だ、という点も共通してる、とボカ思う。
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実は、ドゥルーズというひとは、年とってから自死の道を選んでしまうんですが、うーん…
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自分もひとも自由にしつつ、さらに自らの属する共同体をも呼吸のしやすい場にしよう、なぁんつう考えをいつもいつも通そうとしていると、たぶん、くたびれるでしょうねぇ…
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いや、たとえ、どんなにくたびれる態度だろうと、ベッソンやドゥルーズのあとを追いかけるひとは、今後も必ず出てくるでしょう。
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「共同体内部の自由」が現代先進諸国の課題である限りにおいて。
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(おー、国際論まで言っちゃったよ。
もう一本、ベッソン映画で観たいのがあるんですけど。
今回は、このへんで)
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Jack
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