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Sport /「トランスフォーマー/リベンジ」

アメフトの試合を、ときどき、NHK-BS が放送するじゃないですか。

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わたくし、ルールの細かい点が分からないままに、

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「野っ・蛮ン・なスポーツだなぁ!…」

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と思いつつ、ときどき楽しんで、視てるんですが(ジャイアンツが好き)…

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で、分かってる人には解りすぎてることを、ひとつ。

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このアメフトというゲーム、力任せなことは間違いないんですが、それだけではないようで。

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パワーと同時に、「緻密」な作戦が必要なようなんです。

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クォーターバックの選手は、ライン外のヘッド・コーチと、しょっちゅう無線で交信してるじゃないですか。

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ほいでもって、秒単位で、どう動くかを決めるでしょ?

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「力」というのを、どう使うかが、このスポーツの見所らしい。

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スポーツというものは、なんによらず「力わざ」のところがありますが、

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僕は、アメフトを視ていると、

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「力をどう使うかを考える“スポーツって思想”を他ジャンルに適用したら、さぞかし、爽快なものが出来るだろーな…」

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と、よく思うんです。

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で、そういうことは、シロウトの僕でなくとも、考えるヤツが、

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いた!
いた!
大メジャーに、いた!

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マイケル・ベイです。

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出ました、マイケル・ベイ監督の

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「トランスフォーマー/リベンジ」

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はじまりは、17000年前。

既に機械生命体は地上に飛来しておりました。

彼らは、どこへ去ったのか。

なぜ、地球は、侵略の脅威をまぬがれたのか。

お話変わって、現代です。

機械軍ディセプティコンの小規模な襲来は、続いている。

人類に味方する機械将軍オプティマスと共に、米軍は秘密掃討作戦を展開中です。

一方、前作で、オプティマス隊を勝利に導いた青少年サム(シャイア・ラブーフ)。

もう、あの闘いから2年が経過し、見事、念願だった大学に合格します。

晴れてカレシ・カノジョの中になったミカエラ(ミーガン・フォックス)とは、遠距離恋愛になりますが…

大学寮への引っ越しの日、彼は、闘いの思い出が詰まった上着に、金属のカケラが付着しているのに気付く。

それに触れた途端、身体中に走る、おかしな霊感。

何かの秘密が、開かれてしまったのか?

その頃、遥か遠くに離れた宇宙では、機械生命体の真の統率者ザ・フォールンが、いよいよ地球への侵攻を始めようとしておりました…

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上海、フランス、エジプト、ヨルダンと…

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大々的な海外ロケも、ふんだんに、これぞハリウッド・メジャー!という作品です。

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このシリーズのテーマとなっているのは、

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「有り余る力を、どう使うか」

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ということです。

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「力」ね…。

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そういうものは、「いろいろと気にして」いたら、発揮できないものなんです。

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「気にしない」とは、つまり、いったい、どういうことか。

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そのへんについて、今日はすこし。

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実は、ですね、
僕、英語もちょっと習ってたので…

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(例によって、狂ってたときのことです。
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一応、理由がありまして、仏語 → 日本語とダイレクトに訳すよりも、仏語 → 英語 → 日本語の順で考えたほうが解りやすい場合がある、と気付いて始めたわけです。
―――
オマケみたいな習い方だったので、モノになってませんけど)

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あのですね、

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僕らは日頃、「欧米」などと言って、アメリカとヨーロッパ諸国をひとくくりにしておりますが(「ヨーロッパ」の範囲も、ひどく曖昧なのですが)、

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例えば、フランス人のものの言い方・考え方にしばらく触れて、それからアメリカ人と接すると、

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ああ!…

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と、ほんとに「ホッ」としたりいたします。

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あッかるいなぁ!
オープン・マインドでフランクだなぁ!

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と、感じ入る。

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一方、ネイティブのフランス語講師と付き合うとき、まずもって、

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「フランス人て、笑わねぇなぁ…」

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と思ったりしたんですね。

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なかには、怒ってるのかと思うくらい仏頂面のひともいまして、それがひどく、とっつきにくかった。

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前に 2009/4/29 に「スラムドッグ$ミリオネア」を取り上げたとき、日本人の顔つきについて、いかに仏頂面なのか、

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「顔が米印」

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って書いた武田百合子さんの話しをしましたけど、「フランス人も似たようなもんなのか?」

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…ヨーロッパのひとは優しく微笑んでるんじゃないのかよ、とヘンにひね曲がった「親近感」を持ちました。

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(なんにでも例外はあるので、ここで言っていることは、司馬遼太郎さんが言ったごとく、一種の「おとぎ話」として、聞いてください。
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日本人にもフランス人にも、にこやかな人はもちろん、います。とーぜんです。
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実際、わりと快活なほうのフランス人に、「あなた方、笑わない習慣でも在るんですか?」と、仏頂面のひとについて報告したら、
「そりゃぁ、おまえ、パリジャンと話したんだよ」
と、一笑されました。
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パリっ子は気取ってンのよ、というわけです。
―――
そう言われてみると、ピーター・メイルの南仏についての本もあるし、フランスは元来、農業国で、穏やかな気質のひとが多い、という話しも聞いたことがあるし、

まぁ、そーいうことです)

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で、ですね、

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例外はある、違う見方も成り立つ、と分かっていただいた上で言いますが、

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ドゥルーズやデリダの本て、まぁ、混み入ってるったらありゃしない!

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なんて神経質なひとたちなんだ…

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ひとこと、ひとこと、「これ言ったら、誤解されないかなぁ…」みたいに極度に心配しながら、重箱の隅をつつくみたいに、あーでもないこーでもない、と、ごちゃごちゃした議論を進めてく…

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思想書なんて、ややこしくて当たり前、と言われそうですが、
それはそうなんですが、でも例えばパース(アメリカ人)なんかのモノの言い方は、

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「混み入った話しをするにあたり、極力、ダイレクトな言い方をしよう」

「受け手にとって、ストンと腑に落ちる論述を展開しよう」

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という「決意」のようなものが、感じられる。そうして、

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「大丈夫。腑に落ちる言い方は、確立できる」

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という明るい「確信」のようなものが、みなぎってます。

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アメリカ人ではないけれども英語で書いて、とてもアメリカ的な考え方をする、スラヴォイ・ジジェクという人がいますけど、おんなじような楽天主義を感じます。

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どうも、アメリカ国とフランス国では、日頃から背負わされている「世界」、ひいては「社会」の堅苦しさ、重苦しさが違うらしい…

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アメリカ人の考える「論理」とは、極めて明快に、「闇を打ち払う“破”」を意味しているのじゃないか。

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フランス人にとっての「論理」とは、見せかけの人間らしさが何万重にも取り巻いてしまった「勘違いした“言葉の鎖”」をほどいて、その中にちいさく保存されている「こころ」のようなものに、そっと触れる、そのためこその手段じゃないのか、

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と、そんな風に思うんです…

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闇を打ち払う「光の論理」とは、言い換えるなら、「パワーの言語」です。

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かなり感覚的な言い方をしますけど、アメリカという国には、「背負わされているモノの、あまりの巨大さ」と、それゆえ、その巨大さに対応しようとする言葉の、ある種の「おおざっぱ加減」を感じます。

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可能な限り、遠くまで、届かせよう

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というのが、英語(というかアメリカの強い影響のもとに育った英語)の構造的に持っている特色です。
つまり、

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「ローカル」

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という考え方は、英語の中には無いのです。

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なんだか平凡な結論にたどり着いてしまいましたが、これこそ、つまり「気にしない」ということであり、

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つい見落としがちな、重大なポイントです。

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僕たちは、誰でも、ひどくうんうん唸りながら、なんとかして

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「個性」

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というものに行き着こうとする生き物です。

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日本人の言う「個性」とは、「集団の意志を邪魔しない限りにおいて」許されるものに過ぎません。

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フランス人にとっての「個性」とは、「たとえ家族であっても、個人は個人」という、日本人からすると、どこかさみしいような、めんどくさいような、ヤヤコシサを感じます。

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で、

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そういう「“個性”に関するめんどくささ」が、アメリカ語の中には「無い!」っ。

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アメリカ語にとっての「個性」とは、イコール、「ローカル」ということ。

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PCソフトを英語以外の他言語に翻訳していくことを「ローカライズ」と言いますが、あれはすなわち、「個性化」と、同義です。

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ローカルという考え方が無い、ということは、アメリカには、他の国のひとがそれを巡って悪戦苦闘するような、「個性」という考え方が無い。いや、

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アメリカ的な「個性」というのは、外国からすると、非常に特殊な、「議論の対象にならないような、肉体的なもの」だと言えるのじゃないか。

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「大前提として染み付いているので、問い詰める必要がない。議論にする意味も解らない」

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といったところじゃないか。

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こういう国(「国」と言って、いいんでしょうか?)の人たちが、「力の配分」についてだけ考えて、他国の人間を驚かせるものを作ってしまう、というのは、なにか、分かる気がいたします。

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もっとも、そのような「本質的なアメリカらしさ」を本当に表現できる人は、数多くはないわけで、

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その意味で、マイケル・ベイというひとは稀有な人です。

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作品がいつも、どこかしら「スポーツのような爽やかさ」に満ちているのは、要するに「おおざっぱ」だからなんですが、ただ「おおざっぱ」と言って済ますだけでは、彼の映画が、一方で、実に緻密に出来ている理由がつかめないことでしょう。

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言ってしまえば「Sport」というのも英語であり、現代に在っては極めてアメリカ的に加工された「考え方」です。

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今回の「トランスフォーマー」は、ほとんど戦争映画と言ってもいいほど「闘いの映画」なんですが、それを「暴力の映画」にしていないのが、ベイというひとの力量であり、

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アメリカという国の、不思議で凄まじいところだと思うんですね。

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「スポーツみたいな映画にしたい」

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と願っても、アメリカ人じゃない人々にとっては、どこかでアメリカ的に言うところの「ローカル色」、つまり「気にした部分」が出てしまうはずなので…

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(字数が足りないから、このへんでやめますが、これ、考えていくと、いくらでも拡がります。

ジョン・フォードの影響を受けて黒澤明が作った「七人の侍」より、そのアメリカ版リメイク「荒野の七人」のほうが、「スポーツ精神」に溢れてる、と思うんです)

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Jack

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