♪ 何もないな 誰もいないな…/「イントゥ・ザ・ワイルド」
もし、ここが現代日本じゃなかったら、
―――――
とてもじゃないが、自分は、まともに生きていられなかった…
―――――
ときどき、そう思います。
―――――
このブログのプロフィール欄に、「酒には縁がない」と書きましたけど、「晩酌の趣味はない」という意味でして、ぜんぜん呑めないわけじゃぁない。
―――――
…わけじゃぁないけど、我を失うほど酔っぱらったこともない。
―――――
酩酊したくなるような性質のストレスを、抱えたことがないのです。
―――――
僕は、自分が、現代日本の文明生活のおかげで「生かされている」と思っており、また、そのことに、かねがね、深く感謝しておりますので、その文明生活の中で、「酔って忘れたいような現実」に出くわすことなど、考えられないわけなのです。
―――――
子どもの頃は、ひどい病弱でありました。
―――――
喘息です。
―――――
どうやら、からだの弱い者が産まれてくる家系らしく、親戚のなかには、30代で旧いタイプの吸入薬を使い過ぎ、肺をおかしくして亡くなってしまった人もいます。
―――――
昔の喘息薬というのは、重い副作用を起こしたのです。
―――――
もし、僕が、「あのとき」、喘息治療の名医と言われる先生に出会って、最新の吸入薬を処方されていなかったら…
―――――
また、もし、僕が、精神病治療の、あまり発達していない国に産まれていたら…
―――――
こうして生き長らえて、ほかの多くの健常者たちと同じ生活を送ることは、不可能だった。
―――――
だから、僕には、うっとうしい現代生活を脱して、「どこか遠くへ行ってしまいたい」という願望がありません。あ、いや、
―――――
詳しく言わないといかんな。
―――――
「うっとうしい」と思うことは多々、ありますが、だからと言って、「あー! 温泉でも行って、なんもかんも忘れてさっぱりしてぇ!」というよーな気持ちになることが、めったにないわけなのです。
―――――
この世界に感謝こそすれ、「逃げ出したい」と思うような「うんざり気分」に陥ることが、まず、無いのです。
―――――
おシアワセなやつだ。
はい。
―――――
そんな僕にとって、ヘンリー・D・ソローは、「ほとんど共感できないのに、気になる作家」のひとりです。
―――――
初めて「森の生活」を読んだのは、8年ほど前。
―――――
もう大人になってからでした。
―――――
1817年生まれのソローは、ハーバード大学を卒業後、文筆業でメシを食っておりましたが、28才の夏、思い立って、マサチューセッツ州コンコードにあるウォールデンの森に入り、自分で小屋を立て、「洗練された」都会生活を捨て、鳥やけものの様子に日々、心打たれ、魚を釣り、思索にふけり、ほとんど人の訪ねて来ないその家で、2年2ヵ月を過ごすことになる。
―――――
美しい描写。
みずみずしい筆緻。
―――――
都会生活では到底味わえない「人間の暮らし」の日々。
だけど、
―――――
年寄りではないがさりとて幼くもない、という年齢でこの本を初めて手にした僕は、読み進めながら、強い疑問を持ちました。
―――――
なるほど、ソローの自然描写は素晴らしい。
―――――
だが、
―――――
なぜ「2年2ヵ月」なのだ?
―――――
ありきたりの文明生活に疑問を抱いて森へ入ったというのなら、なぜ、また、森の外へと舞い戻ったか。
―――――
彼は書いている。
―――――
「たぶん、ぼくには生きるべき人生がもっとあって、それ以上の時間を森で費すことができなかったからだと思う」
(真崎義博訳 : 宝島社)
―――――
人間の暮らし。
―――――
このひとことに強く惹かれ、呼応する若者にとって、この本は、美しい贈り物だと思います。
―――――
なんと言ったらいいんでしょうか。
―――――
ごみごみした、妬みとやっかみと悪態の支配する都会を脱出…
―――――
「人間の手がまだ触れない」命の源を目指し、森の奥へと分け入っていく…
―――――
森の中で、ひとは、目の醒めるような生き生きした自然と、その中で懸命に生きる動物たちと、そして自分自身を「発見」することになる…
―――――
「ぼくが森へ行ったのは思慮深く生活して人生の本質的な事実とだけ面と向かい合いたかったし、人生の教えることを学べないものかどうか確かめたかったし、死ぬときになって自分は生きていなかったなどと思いたくなかったからだ」
(上掲書)
―――――
この本には、どれほど望んでもつかみきれない「憧れ」が満ちているのです。
―――――
この憧れは、ソローの生前には、注目されたりしませんでした。
―――――
彼は、文明化しようとする当時のアメリカにあっては、ただの変わり者だった。
―――――
解説の青山南さんによると、ソローに俄然スポットが当たるのは、1960年代に入ってからです。
―――――
ヒッピーに代表される反体制文化が出てくるなかで、ソローの行為は、若者たちの強い共感を呼び、「森の生活」は、一種のバイブル的存在となった。
―――――
「「市民的不服従」という言葉がソローのものだと知らずにつかう若者たちがどっさりいた」
(上掲書:解説から)
―――――
届かない憧れ。
―――――
実は、「森の生活」をソローが書いたのは、ウォールデンの森を出たあとです。
―――――
7年以上の歳月をかけ、文章を何度も何度も練り直し、推敲(すいこう)に推敲を重ねて、その上で発表している。
―――――
パロールとエクリチュール、つまり、「言葉を発する」ということと、「書き物をする」ということは、行為として、本質的に異なります。
―――――
文明のなかに生きる僕たちは、言葉を発することで、自らのなかにある自然を蘇らそうとし、書き物をすることで、文明と同化する。
―――――
さよう。
現代人という連中は、引き裂かれているのです。
―――――
そんな中、話し言葉を文体の中に取り入れていく、という意味は、文明生活の中で失われがちな「生きること」を思い出していくためです。
―――――
うむ…おっと…
―――――
そう解説しちゃっちゃ、野暮ですね。
―――――
こんなふうに語っていては、もとより自然から離れてしまうし、「自然」とはなんだったのかも、解らなくなってしまう。
―――――
ソローが書いたことは「本当の体験」ですが、本当の体験を文に定着させる過程で、「本当の暮らしを生きた感激」が失われぬよう、彼は細心の注意を払い、本の完成に、長い長い時間をかけた。
―――――
で、
―――――
僕は、そのような、極めて綿密な注意を払って作り上げた「文章のなかの自然」てものに、「手の届かない本物の自然に焦がれる文明人」の様を見てしまったりするわけです。
―――――
憧れ。
ロマン。
―――――
これらのひとことは、ソローが長年かけてつかもうとしたものを表すには、卑小に過ぎる。
―――――
「イントゥ・ザ・ワイルド」
―――――
大学をオールAの成績で卒業した青年(エミール・ハーシュ)。
両親は「車を買ってやろう」と申し出ますが、彼はそれを断ります。
―――――
在学中に貯めた預金を慈善団体にそっくり寄付し、手持ちのカネを燃やし、彼はリュックひとつで荒野へ入る。
―――――
実話がベースになっています。
―――――
なぜ、青年は、荒野を目指す?
―――――
彼が愛読していたのが、トルストイやソローの本だった。
―――――
この物語を映画化したショーン・ペンは、俳優としても素晴らしいが、脚本家・監督としても、第一級だと感じます。
―――――
憧れ。
―――――
多くの人が憧れる「それ」をフィルムに定着するにあたり、ペンは映画という名の「文明機械」を、考えつく限りの方法で総動員し、駆使し、そうして「青年の見た自然」を再現しようと試みる。
―――――
ただカメラが美しいだけではありません。
―――――
見るもの聞くもの、体感するもの。
―――――
青年がそのたびに振るわせる心の様子を、すくい取ろうとしているのです。
―――――
どこまでも、何かを求める、まっすぐな憧れ…
―――――
ペンの映画は、映画というものが本来、劇場やDVDプレーヤーを必要とする「文明機械」に過ぎないことを乗り越えようとする、たいそう野心的な挑戦でもある。
―――――
技巧の凝らされた演出は、ペンという人が、今まで述べてきたような意味での「強い憧れ」を心に抱えた「文明人」らしい、ということを意識させずにはおきません。
―――――
ん?
―――――
なにか、おかしいですね?
―――――
はい。なにか矛盾しております。
―――――
ソローの本は美しく、ペンの映画は命の思索に満ちている。
なのに、
―――――
彼らが綴る命の姿の美しさは、現在を生きる僕らに、何を授けてくれるだろう…
―――――
実は、わたくし、狂っていたときに、地元から群馬の山奥まで、歩き通しに歩いたことがありまして。
―――――
警察に捕獲され、精神病院で目覚めたときは(正確に言うと、最初の病院で目覚めたときです。あまりにもハイになってましたので、「とてもウチでは治療出来ない」と言われ、転院させられました。二番目の病院で起きたときはベッドに拘束されてました。
が、それはともかく短い行脚を終えたあと)、
―――――
足が、冗談でなく、二倍くらいに腫れ上がっておりました。
―――――
歩いているあいだは、まったく気付かなかったのです。
―――――
痛くもかゆくもなかったですね。
―――――
その短い「旅」で僕が得たものは、たいそう恐ろしい「本物の自由」でありました。
―――――
本物の自由が、なぜ、恐ろしいのか。
―――――
いまは説明する自信がありませんので割愛しますが、この映画を観れば、「自由」というものに付きまとう素晴らしい解放感と、そしてその裏腹に在る恐ろしさとの関係に、少し(うっすらと)、気がつけるかもしんない。
―――――
ひとは、ときに何もかも捨て去って、無限の彼方へ旅に出る…そんなロマンを必要とするんでしょうか?
―――――
僕には、残念ながら分かりません。
―――――
命の輝きを求めれば求めるほど、研ぎ澄まされた「文明観」を求められるということを、僕は「生命論的苦痛」ではないのか? と、そう疑ってるんですが、
―――――
誰かの歌にあるように、カレンダーも目的地もない「旅のための旅」、命の奥へと分け入る旅に、
―――――
出てごらんになりますか?
―――――
(もう一冊、夏のご推薦図書を挙げるなら、だんぜん、ジャック・ケルアックの「路上」です)
―――――
Jack
| 固定リンク | トラックバック (0)


最近のコメント