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軽い原罪/「重力ピエロ」

「春が、二階から落ちてきた」

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この印象的な「フレーズ」で始まる映画は、

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「重力ピエロ」

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舞台は仙台。

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「春」、とは人の名。

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奥野家は兄弟ふたり。

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奥野泉水(加瀬亮)と奥野春(岡田将生)。

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仲の良い兄弟を見守るのは、優しいが決然とした父(小日向文世)と、美しい母(鈴木京香)。

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幸せそのもののようなこの家族に、一片の影が射している。

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一片と言いましても、

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それは、尋常ならざる大きさの影です。

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家族の運命…
家の者ひとりひとりの人生の成り行きまでも左右する、大きな影です。

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物語の中で言及される、様々なピース。

市内を騒がす放火犯。

泉水が学ぶ、遺伝子工学。

街のあちこちに残る落書き =「グラフィティアート」。

美男の春につきまとう、女の子の「ストーカー」。

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これらは、どう、結び付くんでしょう。

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全てがひとつにつながるとき、奥野兄弟にも、岐路が…

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えーと…

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この作品のキーターム = 鍵を握る言葉は、いずれも英語。

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「GOD」「Can」「Talk」とか「Unforgiven」とかね、

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そもそも、落書きを「グラフィティアート」などと呼んだりして、「別の解釈」を付けようとするのは、どういうわけか。

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ごていねいなことに、主題歌も、全編、英語です。

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伊坂幸太郎さんの別作品の映画化「フィッシュストーリー」でもそうでしたが、この「重力ピエロ」も、そこかしこに、アメリカ文化への「憧憬」のようなものが、見て取れる。

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それが――その淡い憧れのごときものが――、この伊坂印のミステリを、例えば松本清張的でない、笹沢佐保的でもない――要するに、男と女や血のつながる者同士の「絡み合う愛憎」だったり、どろどろの心を抱えた「にらみ合い」などからサッと救う――ポップな軽みを提供している、と思う。

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この「ポップな軽み」、

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= 外来言語に依存することによって、初めて成立する「浮遊感のある思考」について、申しましょう。

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たぶん、どこの国でもそうだと思うのですが、

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「外来言語」

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とは、土着の因習や、無意識のうちに僕らに染み付いてしまっている「観念の範囲」から離れる――離れたい――とき、たいへん便利な言葉の束です。

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「言葉」というものは、一語一語、それぞれ「ある対象」と一対一の関係を結び、僕らの世界を、確固たるものにしています。

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しかし、

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そのような、言葉と対象の一対一の関係だけでは捉えきれない、「こぼれ落ちていく感性」のようなものがあるのです。

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このことを「こぼれ落ちていく感性」の側から説明しようとすると、いくら言葉を費やしても足りませんし、なにより思考の迷路にはまり込む可能性が高いので、

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一対一、として安定している土着言語の立場から、逆照射してみましょう。

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その立場とは、「外国語を習う人の立場」です。

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外国語を習っていくと、次第に、「どう捉えたらいいんだ…」と、困惑することが増えてきます。それは、

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「カタカナ」の存在

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です。

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僕の場合は、フランス語を勉強してるので、フランス語について言いますと、例えば、

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「シルク・ドゥ・ソレイユ」

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と書いて、日本では、

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「シルク・ド・ソレイユ」

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と、読むのが一般的ですが、これは、明らかな誤読です。

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しかも、二重に間違えてる。

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そもそも、「シルク・ドゥ・ソレイユ」と書いたら、「ド・ソレイユ」と読むのは誤りだし、第一、

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原語では、

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「Cirque du soleil」

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と書くのです。

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これは、「ドゥ・ソレイユ」と言うより、「デュ・ソレイユ」と読むほうが近い。

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フランス語のアルファベットでは、「d」を「デ」と読みます。

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「デュマ」=「Dumas」という作家がいましたので、「du」については、「デュ」と発音するのが、原音に最も近い。ところが、

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今や完全に、「ドゥ」で、通っています。

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さらに言うなら、原音の「du」の「u」は口をすぼめて、「ュ」と「ィ」と「ゥ」の中間のような発音になるのが、正確です。では、

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いったい、「ドゥ・ソレイユ」というのは、「どこに在る言葉」なのか?

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日本語ではありません。もちろん。

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しかし、フランス語でもないのです。しかり。

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いったい、「カタカナ」とは、地上の、どこに在る存在を示す何語なのか?

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ところが、

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実際問題、これは、「日本語」なんですよ。

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「浮遊する言葉」でしょう?…

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それが指し示そうとする対象と、ぴたり結ばれてはいないでしょう?

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ここでは、言うなれば、意味が「迂回」されているのです。

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「バイオリン」とか「ビール」とか、「そんな言葉はないよ」と言いたくなるカタカナ語は、いっぱいある。

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あれらは全て、日本語ではないのに、実際問題、日本語だ、という、たいへん不思議な単語です。

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こういう単語が「文節」の中に混じることによって、文章 = 思考は、「浮遊する自由感」を獲得していく。

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意味が迂回されているがゆえ、このような言語は、「対象との一対一の関係」、という、厳然たる役割から解放され、自由に宙に浮かぶのです。

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こうした自由さ――「浮遊する論説の自由さ」――をもって、この作品は、奥野家という家族を襲う大いなる悲劇を救おうと試みる。

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ですが、

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断言しましょう。
ひとの生き方、すなわち「意味の在り方」は、「言葉の位置」をずらしたくらいで、変えられるものではありません。

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それでも伊坂作品が、いま、新しい姿で文化現象の真ん中に出るようになった「日本映画」という世界――その世界に属する人々の関心を強く呼び、

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多く映画化されるのは、なぜでしょう。

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「変わらない意味」に対して、「意味の迂回」を試みるポップな軽みは、必然的に、

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若さの思考

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と、なり得ます。

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それすなわち、抵抗の試作だからです。

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抵抗しつつ、浮き足立ってる(浮遊してる)わけなので、これは

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一過性の表現

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です。

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二十年後には、消えているかもしれません。

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二十年後には、消えているかもしれないものを、なぜ伊坂幸太郎さんは、いや、もとい、森淳一監督は、援護しようとなさるのか。

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いま僕の言っている「若さ」とは、実は、

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気恥ずかしさ

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から来るものです。

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一度、「シルク・ド・ソレイユ」と呼ぶことに、なんとなく決まってしまったそのものを

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「デュ・ソレイユ」

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なぁーんつぅたら、恥ずかしい、っしょ?

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居酒屋行って、

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「あ、おれ、ビアーね」

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などと言うヤツがいたら、お友だちになれますか?

(待てよ?…おもしろいかもな…まぁ、いいや)

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自衛隊の存在からもお分かりの通り、戦後の日本は、「正面から対象と向き合わない」ことで、なんと、浮遊する――厳然たる役割から解放された――「自由に汲み取れる意味」を豊かに膨らませる道を選択してきた、不思議な若さを持つ国なのです。

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つまりは、それこそが、日本流の

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ポップ・カルチャー

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だと言える。

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この映画のテーマとなっている思考について、

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松本清張や笹沢佐保や、あるいは遠藤周作なら

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「原罪」

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と、呼んだかもしれない。

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だが、原罪と向かい合おうとする「人の姿」が、この作品では、どこか軽い。

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原罪に対して、どろどろと対決しようとするのでなく、軽く投げ打とうとする若者たちの姿を通して、

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この映画は、軽くて、そしてどこかはかない、もろい思考を

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いつまでも失わないで

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と、メッセージする、静かな主張に満ちているのだ、ふぅ。

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… なんて、いろいろ言いましたけど、

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実は、ね、

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なんだかなぁ…

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まったくもって見当外れの方向で立ち止まったり、ごちゃごちゃ悩んだり、ツマラヌ手間をかけてるのぉ!

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と、

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僕は、自分の少年時代から相も変わらぬ様相で「意味のあいまいな繊細さ」を標榜する「“お馴染み”の若さ」に、うっとうしさと疲れを覚えて、劇場を出たのです。

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新しき日本映画の新しき「スタッフ」たちが、こんな古ぼけた新しさに感じいっているうちは、

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いま現に鋭さの中にある若さ、というのは、いつまで経っても報われない

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と、そう結論づけることも忘れずに。

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(「時間が経てば消し飛んでしまう若さ」を温存しようとする馬鹿げた「センス」に、苛立ちさえ覚えながら)

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(現代の若さが持っているかもしれない「シビア」さに対して、この繊細さは、ある意味では、あまりにのどかだと言える)

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(だが、しかし、加瀬亮と岡田将生というふたりの若い俳優は、実に「センシティブ」に演じている、と)

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(それは「イッツ・コレクト」です)

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Jack

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□作品オフィシャルサイト 「重力ピエロ」□監督 森淳一 □脚本 相沢友子 □原作 伊坂幸太郎 (「重力ピエロ」新潮社刊)□キャスト 加瀬 亮、岡田将生、小日向文世、吉高由里子、岡田義徳、渡部篤郎、鈴木京香■鑑賞日 5月30日(土)■劇場 109CINEMAS川崎■cyazの満足度 ★★★☆(5★満点、☆は0.5)<感想> 原作は100万部を超えたヒットとなっている伊坂作品。 しかしながら未読。彼の作品を何作か読んだが、共通して底辺にある混沌とした、現代社会からやや逸脱した物語は僕としては... [続きを読む]

受信: 2009年6月 5日 (金) 12時18分

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