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脱・作品化とは何か?/「CDTV・スペシャル」雑感

年頭の番外編です。

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お正月のテレビ番組について、ひとつ。

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いや、ふたつ。
いやいや、ふたつみっつ。

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昨年末からこっち、音楽番組が、たくさんあったでしょう?

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紅白を別格として、民放各局、同じような構成でした。

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総花的と言いますか、十数年前から2008年までのヒット曲をビデオで断片的に振り返りつつ、合間合間に、ヒットチャートを賑わしてきた歌手たちが歌う、という形式の(そうして、「さぁ、来年は、どんな曲がヒットするでしょうね」というわけです)。

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そのクライマックスが、TBSのCDTV・スペシャルでありました。

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CDTVという番組は、ご存知の通り、普段、ヒットチャートの上にある音楽の「こまぎれ」を主に放送しています。

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「音楽の紹介」番組ではなくて、「音楽のこまぎれの展示」番組なのです。

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ところで、音楽、「ミュージック」というものは、こまぎれにすると、その性質を変えてしまう。

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今は「着うた」、「iPod」の時代ですが、CDTVという番組は、この、いまの「音楽のデータベース化」時代を先取りしていた、とも言える。

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この番組の中で、ミュージックは、ばらばらに切り離され、サウンド・データの一種に過ぎない物として、扱われる(お笑い芸人の人たちの声を使った“着ボイス”なるものが存在します。

音楽も、あの着ボイスと同様の“データ”なのです)。

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さらには、カセットテープ、CD、MD、SDカードにiPodときて、この流れを振り返ると、これは、音楽というものの「脱・作品化」であることが分かります。

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「作品」という言葉を翻訳すると、「揺るがせに出来ないもの」ということになるでしょう。

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ごく単純な意味でそれは、「持ち運び出来ないもの」という意味です。

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昔、LPレコードという媒体が主流のとき、それは、「携帯すること」を念頭に置いて作られてはいませんでした。

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「記録された音楽が、家庭の中に入ってくること」が革命だったのであり、その革命の視野に「持ち運ぶこと」は、含まれていなかった。

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ミュージックが携帯可能なものとなり、路上でも、教室でも、なんならトイレの中でも、聴くことが出来るようになるとき、それは、街中から聞こえてくるたくさんのノイズのうちから、たまたまあなたの耳に届いた「ノイズと同等の」サウンドのひとつに過ぎない、ということになる。

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面白いことに、そのような「音楽を携帯することの歴史」というのは(実に不思議なことですが)、音楽というものの原点に帰ろうとする「運動」になっています。

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音符の連なりで出来たミュージックは、その構成的性質、成り立ちから言って、もともと「データの集合体」だったからです。

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(複雑に練り上げられた「思考の結果」としての「作品」である音楽ではなく、もっと単純明快な、誰でもが、なんの準備もなしに楽しめる「パターンの連続体」、例えば「民謡」のようなものだった、と言っとるのです)

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そこまで言うと、「では、歌詞はどうなのか?」ということになるでしょう。

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もとより音符は、その一音だけでは、なんの意味も成さない。

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「フレーズ」が出来上がって初めて、そこに、人は、ミュージックを聴くのです。

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では、歌詞のほうは、どうなのか。

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ひと頃、小泉・元総理の政治スタイルを「ワンフレーズ・ポリティックス」と言ったりしました。

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総理の発言のうち、「私の方針に従えないものは、すべて、抵抗勢力である」とか、「感動した!」だとか、単純なひとこと、もしくはそれに準ずる短い一文が目立って多かったからですが、

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これが、大いに、大向こうにウケたことからもお分かりの通り、

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言葉も、ばらばらに切り離された「短い断片」でまったく構わないのです。

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断片だけでは、たいした情報は伝わりません。

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だから、断片を聴く人が受け取るのは、情報ではありません。「情緒の揺り動かしをうながす“きっかけ”」です。

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一種の「スイッチ」のような「効果」を受け取って、気持ちよくなっているのです。

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ここでも、自然と「創作の原点」に立ち返る「運動」が巻き起こっているのが分かる。

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人は、歌詞の中に、複雑な思索の結果を聞き取ることをしない。

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情緒の揺り動かし、「情動」を求めているだけです。

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これは、重大な、局面の変化です。

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カウントダウン番組の中で、作詞作曲者は、どのような思索を展開しているかを問われない。

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どのような言葉と音の連なりが、人の内に情動をもたらすのか、

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言ってみれば、それを感知したひとの「受信の成果」がミュージックという形になったときだけ、大勢の人が反応して、その音楽を「買う」ということになるでしょう。

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状況が「作者」という存在の「在り方」を決定する。

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その逆は、ありえません。

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現在という時代を作り出しているのは、創作家の意志ではなく、「思索の伝達」から「パターンの伝播」へと移行しつつある「状況」のほうなのです。

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現在を生きる人々は、何事も自分の意志で決定したいと願っているが(実を申さば、こう言っている僕が、最もそう願う者のひとりですが)、その思考は、テクノロジーとそれを生み出す社会構造の「下僕」と言っていい立場にある。

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しかし、これは、すべての物事について、やたらと複雑に考える「癖」を持った現代人特有の悩みでして

(だから前回、「解決のつかない問題のひとつやふたつ抱えているのは、現代人として、健康なこと」と言ったのです)、

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世の中の仕組みや、世の中を成り立たせている技術が単純であった頃の人には、無縁の問題であったでしょう。
(遠い昔の話しですね)

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しかし、みたび言いますが、近年のテクノロジーの発達は、たいへん興味深いことに、僕らを、謂わば「はだかの人間」にする方向へ動いている。

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考え抜かれた思考は、いっとき不可欠のものとされ、いま、新たに「携帯できる脱・作品」を求める傾向の中、はだかの人間に、余計な不純物として「まとわりついているもの」に過ぎなくなりつつあるのです。

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こうしたとき、真価を問われるのは、言ってみれば「寒くもないのに、やたらと“考え”という名の衣服を重ね着している」だけの、中途半端な思想でしょう。

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考えることが「前世紀」を若く生きた自分にとっての、単なる癖に過ぎないにも関わらず、それを昔と変わらぬやり方で「売ろう」とする態度というのは、新興宗教にでもすがりたい人々を囲い込むことは出来るかもしれないが、結局のところ、

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時代について語る資格を失っていくと考えます。

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自由になるもならぬも、「思想」の扱い方ひとつです。

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「思想の重ね着」はいらない。

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根本を見つめる目と、「はだかになりたい」という欲望が欲しいのだ。

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苦しんでる人は、実は、「求めなさ過ぎ」なわけなんです。

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脱・作品化は、リスナーも作詞作曲者も、ともに自由にしていく概念であるかもしんない。

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これが、一連のカウントダウン番組から受け取った、僕の、今年の「序論」です。

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(ユニクロの「ヒートテック・インナー」というのを愛用してます。
つまるところ、「ももひき」ですね)

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Jack

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