政治と心の健康と/「地球が静止する日」
「地球温暖化」というのは、実際問題、どの程度進んでいるんでしょう。
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判りきった謎かけをしているのではなくて、わたくし、不勉強ゆえ、本当に知らないのです。
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「地球が静止する日」
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大学で宇宙物理学を教えるヘレン(ジェニファー・コネリー。この人の「俳優」としての努力には、まったくもって、頭が下がる。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の頃から続く、「何も出来ない無力な美少女」という扱われ方を完全に打ち払い、「美しき演技派」の地位を確立しました)。
突然、彼女の前に、政府機関の者らしい男が現れ、有無を言わさず、不気味な施設へと連れて行かれる。
そこには、自分と同じように集められた、様々な分野の学者がずらり。
宇宙から飛来する謎の物体が、急速に地球に接近しているというのです。
衝突すれば、甚大な被害が予想される。
国防長官(キャシー・ベイツ)も、打つ手なし。
ヘレンは、衝突の瞬間、死を覚悟しますが、物体は驚くことに、スピードを変え…
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なぜ、この映画がいまリメイクされたかは、あまりにも明白です。
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宇宙から訪れる驚愕の地球外文明が発する人類への、いや、主に「アメリカという支配体制」への警告。
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イラク戦争を通じての、そうして温暖化対策に対する国際ルール作りを通じての、「アメリカという国家の孤立」。
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「孤立」に対して、意見を異にする人たちが、寄ってたかって作ったのでしょう。
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つまり、これは、SF映画であると同時に、あからさまな「政治的映画」である、とも言える。
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政治映画と政治「的」映画とは、もちろん、はっきり違いますが、強いメッセージ色を帯びているのは、どちらでしょう?
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「アメリカ映画が社会的、政治的な主題に取り組むのは、いまにはじまったことじゃない。ずっとむかしから試みてきているが、相変わらず大衆をひきつけることができずにいるというだけのことだ」
――アルフレッド・ヒッチコック
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ヒッチコックのこの発言は、現代の日本やアメリカに、どの程度当てはまるのか。
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早い話し、この映画は、どこまでウケるか。
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こういう企画に、希代の大根役者・キアヌ・リーブスを起用したのは、ぴったりです。
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宇宙からの使者。
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どこか無機的な表情と、ぎこちない動きは、この映画の主役を張るのに、資格充分(ちょうど「ターミネーター」のシュワルツネッガーが、非人間的な無表情で、そのままアンドロイドに見えたように)。
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ところで、
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この映画のテーマに、話しを向けましょう。
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いま、現実に起きている様々な、「地球的規模」の問題に想いを馳せるとき、絶望に陥る人もいるかもしんない。
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政治的・外交的にも、そして経済的にも、「世界の盟主」をもって任じたアメリカという国は、現在、袋小路に落ち込んでいるかに見えます。
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この上は、もう、人間以上に進歩した文明を持つ「地球外生命」に登場してもらって、問題解決の示唆でも与えてもらうより、ほかはない。
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と、いうような考えを持って作ったのか、知りませんが、少なくとも、「そうした考えを反映しているように見える」作品に触れると、
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それは、要するに、キリスト教の終末論ではないか!
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と、言いたくなりますし、実際、この作品は、終末論のような顔をしています。
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この映画は、1951年公開のロバート・ワイズ監督作品「地球の静止する日」のリメイクです。
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オリジナル版のほうは、「空飛ぶ円盤」の出てきた最初の作品でもあります。
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1951年と言えば、日本が第二次大戦の戦勝国とサンフランシスコ平和条約を結んだ年。
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既に1948年のベルリン封鎖以来、米ソは冷戦に突入しておりましたが、激しい共産主義の台頭に対して、「自由主義」という御旗をかかげ、ある意味、「大きな敵」がいるからこその燃え立つような若い気概を発揮していたのが、この頃のアメリカです。
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オリジナル版には、前進主義、進歩主義に対する非常に楽観的な信頼がありました。
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「人類は、自らの生み出した文明の価値とあやまちに正しく気付くことが出来るし、その「気付き」によって、世界を「在るべき姿」に変えていくことが可能だ」、という楽観視です。
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こうした進歩史観は、このリメイク版では、ずいぶんと暗く沈んだ、ひとすじの「願い」のようなものとして、祈りを込めて、作られている。
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これが、気になる。
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世界が、いや地球人類の文明が、いま知られている様々な問題を乗り越えて、あらゆる方向に進化する可能性は無限にあるし、そういう無限の可能性を「文明」というものは、もともと持ってる。
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これは、SFの基本的な発想です。
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「無限の可能性」。
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そうした基本的な主題でさえ、痛々しい「祈り」と化してしまうほどに、現在というやつは、萎縮し、閉塞してるのだろうか。
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一方で共産主義との戦いに無尽蔵とも言える資本と暴力を費やしながら、片方で、自由主義の美しくも希望に満ちた未来を唄いあげる。
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これが50年代のアメリカが標榜していた態度だろうと推察しますが、いまはどうやら「時代が違う」と言えそうです。
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今回の映画は、もちろん、型通りのハッピーエンドを向かえますが(まさか、これを「悲劇で終わる物語」と思って観る人は、いないでしょう!)、その結末が持つ「楽観の力」は、「極めて」と言っていいほどに弱い。
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いまという時期に、大きな平和、という問題を扱うのは、それが、「そう簡単にハッピーな結論は引き出せない」という状況のなかで、野心的な企画なのだと思いますが、
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「簡単にハッピーにはなれない」じれったさが、これを観た感想を、すっきりしないものにしているのです。
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が、
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敢えて言うなら、すっきりしないものが残るからこそ、たまには、こういう「超巨視的」な観点から刺激を受けるのも悪くない。
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考えても結論が簡単に出ない問題をひとつやふたつ、心の中に留めておくのは、たぶん、現代人として、健康的なことだろうと。
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(まぁ、そういうことを、「心の健康を極端に害した」経験のある者として思う次第です)
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(よいお年を)
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Jack
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