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2008年11月

システムとフォールト/「ハッピーフライト」

僕が今までで三番目に勤めた会社というのが、今では、その業界でも老舗で最大手ということになっています。

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僕が入った当時は、その業界全体が、まだ「新しいビジネス」として注目されだした頃で、老舗と言われるその会社にしても、創業20年経っていませんでした。

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主に電話を利用するんですが、依頼企業・団体の、一般顧客に対する「受付窓口」となります。

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通販の受付、製薬会社の商品問合せ窓口、コンピュータ会社の「操作方法」に関する問合せ、そうして、それら全ての会社の、クレーム対応…

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多種多様な電話による受付により、接客応対のノウハウを持ちますから、

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そのノウハウを持って、臨機応変に調査と情報収集が出来る。

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(雇ってる人間の数が、10人や20人じゃないんです。世論調査にアンケート、その気になれば、「リサーチ」なんて、簡単です)

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さらにはそうした活動を経て手にしたデータを元に(市場の動向やニーズが分かりますから)、依頼主である企業・団体に、次なるビジネスモデルの提案をする、てなことが可能でした。

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で、そういう会社ですから、人材がイコール「商品」ということになるんですね。

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応対の言葉遣い、どうやって電話の向こう側にいる相手を「ノセる」か。

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言ってみれば、B to C(ビジネス・トゥ・コンシューマー = 企業対顧客)におけるQC(クオリティ・コントロール = 品質管理)が問題になってくる。

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早い話し、個人個人の「勘」に頼って「接客応対」していたのが、次第に、場面場面に応じて最もていねいで、相手の言葉を引き出しやすい「モノの言い方」が研究され、「○○という場面では、●●と言ってください」なんて、マニュアル化されていくことになる。

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一例を挙げれば、僕の長くいた部署では、通販の受付をしてたんですが…

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顧客との会話の最後に

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「1週間前後でお届けできるかと思います」

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と言うのが、定式でした。

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これは、三重の曖昧文です。

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1週間「前後」でお届けできる「かと」「思います」

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と、言ってるのです。
確約してないわけです。

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それでも、自分の都合のいいように聞き違える顧客が絶えないので、1日でも着荷が遅れると、クレーム対応部署は、大騒ぎ。

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しかし、ここにもちゃんと、受け答えのノウハウが在って…

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いや、

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…ちょっと待って下さい。

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「人材が商品」じゃなかったのか?

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すべて、応対・接客の方法をマニュアル化していくなら、「多様な人材」の必要は、どこに生じてくるのでしょう。

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これが、伸び盛りの業界が、「巨大産業」へと変貌していく際の、ジレンマだったと思います。

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僕が入社したとき、既に、「会話術研究室」のようなものが本社に存在しておりまして、

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そこから派遣されたティーチャーに、話し方をいちいち、チェックされましたが、

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面白いのは、ですね、

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産業上のフォールト、「傷」と見なされがちな、個人的な「話し方の悪いクセ」が、

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その事業全体を俯瞰する「マクロな視点」で眺めたとき、ある種、そのビジネスにとっての「アクセント」になっている、という点でした。

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アクセント。

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そう言っただけで、伝わりますか?

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「ハッピーフライト」

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ある日の巨大空港。

これからホノルル便が出発します。

新人CA(綾瀬はるか)にとって、国際線デビューの日です。

ワクワク、ドキドキ。

一方、同じホノルル便に乗る副操縦士(田辺誠一)にとっても、今日は、ドキドキの日です。

正操縦士になるための最終試験が、このフライト。

優しいことで有名な教官(小日向文世)が風邪で、見るからに厳しそうなキャプテン(時任三郎)に、バトンタッチ。

波乱の予想される飛行です。

空港内では、グランドスタッフ(田畑智子)たちが、満席ギリギリのシートに、どうお客様を詰め込むかで、アタマを悩ませています。

ほかにも空港管制官、機体整備士、バードストライク(鳥による飛行妨害)を防ぐための「鉄砲」係…

一便飛ばすだけでも、無数の関係者が、存在する。

みんなが右往左往している頃、ディスパッチャー(運行管理責任者 : 岸部一徳)のもとには、台風の進路予測が、届けられておりました…

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寺島しのぶ、吹石一恵、笹野高史といった面々が、脇を固める。

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…と、言うより、この映画、誰が主役というわけでなく、「飛行機一機を飛ばすこと」にまつわるお話の、いわば「部品」として(乗客でさえも)、みんなが機能してる感じです。

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このテの映画の白眉として、アーサー・ヘイリー原作の、1970年のハリウッド大作「大空港」を、連想しない人はいないでしょう。

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ヘイリーは、大空港のダイナミズムを、「大吹雪」と「ハイジャック」という「事件」を持ち込んで、いかにもアメリカ的に、派手に描いてみせたけど、

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いつものように脚本を書いた矢口史靖監督の視点は、違う。

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「大きな流れ」というのは、その中に飛び込んでみると、「大きい」というだけで、もう、事件なんか付け足さなくとも、充分にオモシロイのです。

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というより、正確に言おうとすると、「大きい流れ」なんてものは、はじめから存在せず、あなたは、個別の「小さなエピソード」が、様々な確率で「つながり得る」のを体験することになるのです。もちろん、

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矢口監督の興味・オモシロがりも、そこにある。

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「全体」は「一部分」の寄せ集めに過ぎず、「一部分」は、「全体の在り方」(この場合は「企業風土」)を抽象している。

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フラクタル図形みたいなものです。

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外からだと巨大な「管理機構」にしか見えないものが、内部に入り込んでしまうと、

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「よく、こんな“ていたらく”で、やっていけるなぁ」

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としか思えないほど、ヒューマン・エラーの連鎖で出来ていたりする。

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そういうところばかり狙って映しているので、これは、撮影に全面協力したANAを、誉め称えるべきでしょう。

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こんな、オチャラケた会社って宣伝しちゃって、ええんかいな。

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あ、いやいや、

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野球の珍プレー好プレーじゃありませんが、おバカなヒューマン・エラーのあとには、かっこいいプロフェッショナリズムあり。

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そんな描写もリアルです。

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リアル? はい、そうなんです。

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この映画、「あー、ありそうだな、そういうこと」っていう「ほほえましい」エピソードの連続なので、ちょっと、「嫌いになれない」でしょう。

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本作がテーマとしているような問題について、僕は何度も考えたことがありますので、

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正直、僕自身にとっての「新鮮さ」には、ちと乏しい。

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しかし、このテーマは、古くて新しく、

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出来れば「現代社会に生きる」自覚のある人みんなが思考してくれるといいな…と思っていたので、こういう「新規参入」は、大歓迎です。

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快調にヒットしてるようですから、「企業社会の全体主義」について、ウケてからハッとする人も増えるといいな。

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こういう内容を、理想主義的に描く矢口監督にも、僕ぁ、圧倒的に好感持ちます。

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この監督さんが、どうして、長年企業の中で過ごした人間を納得させるような視点を持っているのか、そこンとこ、とりわけ、興味ありますね。

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(1人は全体のために。全体は全体のために)

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Jack

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禁欲と小利口。ふふ/「シューテム・アップ」

物騒な話しをいたしましょう。ふふ。

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テーゼを2つ、並べましょう。

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銃は撃たれるためにある。

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これが、まず、ひとつのテーゼ。

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そして、もうひとつのテーゼ。

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刀は抜かれるためにある。

―――――

この、2つ目について、「切り裂くためにある」と、書こうかと思いましたが、ちょっと考えを変えました。

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銃というのは、「脅し」のために、見せびらかすことがありますが、刀については、それは考えられません。

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ひとつには、銃は、服の中に忍ばせて、いざというときまで「隠しておく」ことが可能ですが、刀は、そうは行かないのです。

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鞘に入った刀を下げた途端に、それは「示威行動」となる。そうして、

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鞘から抜いて「抜刀する」ことがあるならば、それは、よくよくの覚悟を意味し、相手の死を宣告しているも同然です。

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刀を抜く、とは、実際に「斬る」よりも前から、「銃を撃つ」のと、同等の行為なのです。

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で、

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脅しの道具として使われることも多い銃ですが、その使い方に、刀とおんなじ考え方を、導入しては、どうでしょう。

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つまり、引き金に指をかけたら「撃つ」のだ、と。

―――――

脅し、なんて、まだるっこしいことはしない、と。

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そういう使い方をされると気が付きますが、刀の使い方に「剣術」があるように、銃の扱い方にも、「銃術」というものが在るんですね。

―――――

これ、「銃術」の映画です。

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「シューテム・アップ」

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銃を持った男たちに、追われる女が1人。

妊婦です。

今にも産まれそうなのです。

たまたまベンチに座っていた男(クライブ・オーウェン。いや、シブい)。

これが助けに入ると、もう、強いの強くないのって。

男たちの降らす銃弾の雨をかいくぐり、

撃ちまくる、撃ちまくる。

ばったばったと、なぎ倒す。

悪漢たち(妊婦を追い回すんだから、悪いヤツらに決まってる)のボス(ポール・ジアマッティ。この人、どんな役でも、こなすなぁ)が、怒る怒る。

銃撃戦のさなか、子供は産まれてしまいます。

男は母親と赤ん坊を連れて、逃げ回る羽目になりますが…

―――――

久々に、ニューライン・シネマらしい、小味の利いた映画です。ひと昔前のニューラインは、こういう佳品を量産してた。

―――――

それにしても…

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いやぁ! 撃つわ、撃つわ!

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使ってる銃弾の量が、ハンパじゃない!

―――――

もちろん、「想像の中ででも、スカッとしてください」という意味を込めて、遠慮会釈なく撃ちまくるわけですが…

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あまりにも無駄の無い演出と脚本なので、そのせいで逆に、見続けるうち、ふわふわと、映画自体のシンプルさの間隙をぬって、いろんな想念が、浮かんでくる。

―――――

まず、

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想像の中で、銃を撃ち、刀を抜くとき、僕らの意識には、何が起こっているのでしょうか。

―――――

何かが「術」として描かれるとき、僕らは、そこに、余計なものを取り去った「ストイシズム」を見て取ります。

―――――

この映画、あまりにストイックに展開するので、なんだか「男は、かく生きるべき」という、「お説教」されてる気がしてきます。

―――――

で、難解なお話しをいたしましょう。ふふ。

―――――

「ストイシズム」と「クール」とは、ぜんぜん違うよ、と言ったら、どう思います?

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「ストイシズム」とは、要するに、とても倫理的なもの。

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悪がいて、正義がある。

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これを簡潔に説くためにこそ、この映画には余計な「不純物」がなく、つまり観客に、「答えを戸惑わせる」ような、多彩な意見の展開を盛り込んでいないのです。

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対して、「クール」とは、意味なくかっこいいのでなく、「反対制的」というニュアンスを含む気がします。

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なんについても、「冷徹」でスマートに切り抜けるヤツが、徹頭徹尾自分本位に動いたら(自分本位じゃないと、つまり、しがらみに絡めとられていると、クールじゃないと思うんですが)、それは、「やんちゃ」と呼べるのではないでしょか。

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ひとを見て、「アっタマいい!」と拍手したくなるのは、いったい、どんなときですか?

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質問として、すこし「危険な領域」に入り込んでおりますね。(ふふ)

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現代は「ヒーロー」を望む時代です。

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キアヌ・リーブスなぞ、「ヒーロー」の典型を演じます。

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そのヒーローも、1人で突っ張らかって活躍しているわけにはいかない。

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バットマンやハルク、スパイダーマンのように、観客が望むのは、自分たちと一緒に、悩んでくれるヒーローです。ヒーローになるのも楽じゃない。

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ですが、米国社会が、いつもいつも、「ヒーロー待望」一色だったかと言うと、そうでもない。

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ロバート・レッドフォードなど、その全盛期に、ヒーローらしいヒーローを演じたことが、ほとんど無い人も居たわけです。かつては、ね。

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言ってみれば、様々な社会規範を律儀に守ろうとするのが(だから、考えさせない)、ヒーローであり、彼らの行動をして「ストイック」と呼びたくなる理由です。

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それに引き換え、「クール」とは、社会規範をぜんぜん問題にしないこと。

―――――

簡単に、いともたやすく、それを乗り越えてしまうこと。

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この映画、悪党たちの関係が、けっこう入り組んでおりまして、後半に至って、なんか、産経新聞の社説読まされてるような気がしてくるんだよな…。

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褒めてるんでしょうか。

―――――

それとも、ケナしてるのか。はっきりしない態度ですね。

―――――

最近、つまりシャバに出て以来の僕は、小利口になりまして、

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困ったときは、誤魔化して済ますようになりました。

―――――

この映画のクライブ・オーウェンを「クール」と思うか、「ストイック」と評価するか、

―――――

それにより、あなた自身が、どういう人か、がバレてしまうと思います。

まぁ、とりあえず、ご覧ください。

―――――

(ふふふのふ)

(淀長さん的な意味で、一本の映画を見ることにも、「生き方」が表れるのさ…と、クールに言うぜ、俺は。ふふ)

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Jack

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素直になってよ/「噂のアゲメンに恋をした!」

鈴木春信、ってご存知ですか。

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生年不明。

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平賀源内とも仲が良かったと言われる、江戸の浮世絵師ですが、いま見ても、斬新で鮮烈なスタイルの絵が多い。

―――――

紙に箔押しで凹凸をつけたり、つゆ草の花から藍色を抽出して、空を塗るのに使ってみたり…

―――――

もちろん、技法だけでなく、画力、デザイン力も超一流。で、この人が、

―――――

明らかに熱心に、たくさん描いたのが、春画、猥褻画だったわけなんです…

―――――

「噂のアゲメンに恋をした!」

―――――

テーマは、ずばり、セックスです。

―――――

アメリカンだなぁ、
ガサツだなぁ、
ミもフタもないじゃないか、

―――――

…と、言わずに、少しの間、お聞きください。

―――――

チャーリー・ローガン(デイン・クック)。歯科医にして、女たちのアツい視線を浴びるモテ男

元カノの結婚式で、新郎のことを元カレだというキャム・ウェクスラー(ジェシカ・アルバ)と知り合います。

最高にキュート。
なんとか、彼女とデートしたい。

実は、チャーリー、ひょんなことから、「この男と一度寝た女子には、理想の恋人が見つかって、結婚できる!」という噂をネット上に流されており、

「1日カノジョにして!」という女の子たちから、引く手あまたなのですが…

―――――

くっ、

―――――

くだらねーー。

―――――

くだらなくて、なおかつ、おもしろくねー。

―――――

なんつったらいいんだ、こうゆうの…

―――――

ハシにも棒にも、かからねぇ。

―――――

あのですね、

―――――

キャメロン・ディアスやドリュー・バリモア、メグ・ライアンにジュリア・ロバーツ、リース・ウィザースプーンと…。

―――――

みんな、コメディによく出ますよね。

―――――

リヴ・タイラー、アン・ハサウェイ、レニー・ゼルウィガーなど、なーんか、「よし、とにかく、お間抜けな役に挑戦してやる!」という傾向が、見えるんです。

―――――

ポイントは、「かなぐり捨てて、おバカな女を演っちゃおう」というとこですが、

―――――

しかし、これは…

―――――

うーん、

―――――

やっぱりジェシカ・アルバとしては、失敗作ということになるんでしょうねぇ…。

―――――

スケベな大見得を切ってる割りに、アイデア倒れで、展開が平板です。

―――――

…しかし、この映画は、ガサツだから、駄目なのか?

―――――

これは、興味ある問題です。

―――――

そのへんを、掘り下げましょう。

―――――

一度「した相手」が、必ず自分以外の理想の彼氏を見つけて結婚しちゃうわけだから、

―――――

チャーリーとしては、キャムと「本気でイイ仲」になりたいので、

―――――

したい!
でも、出来ない!
やったら、ヤバい!

―――――

と、それが、この作品の核であります。しかし、

―――――

この映画が、アイデア倒れの脚本と、間延びした演出であることを大幅に割り引いても、それでも、セックス・コメディとして、「不出来」なのは、なぜなのか?

―――――

「笑い」と「それ」について、一考します。

―――――

前に一度、書いたことがありますが、この2つは、愛する者同士の観点からだけでは、結びつきにくいんです。

―――――

二人は、「その真っ最中」に笑ったりはしないものです。

―――――

それは、真剣な営みであり、今やクライマックスというときに、もし、笑いだしたりしたならば、しぼんでしまうかもしれません(いや、「意欲」がね)。

―――――

では、「それ」と笑いとは、どこで、結びつくんでしょう。

―――――

この映画は、「セックス・コメディにして、ロマンティック・コメディである」という離れ業を成し遂げようと、頑張っている。

―――――

それでも、つまらないものは、ツマリマセン。

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思うに、「頭でっかち」だからじゃないか?

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性に関する話が、「滑稽」だとすると、それは、性行為そのものよりも、男も女も、相手を「モノにするため」に、なりふりかまわず懸命になる、その姿がオカシイからだ…

―――――

と、

―――――

聞くと、なんだか、もっともらしく思えるでしょう?

―――――

しかし、この「もっともらしさ」を持ってして、面白い話が描けるか。

―――――

ここが、この映画の問題だと思うんだなぁ。

―――――

性と愛に関して、「理詰め」に過ぎるのが、いけない。

―――――

もっと、「アメリカン・パイ」のような、アホらしさがなくては、イケナイ。

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いや、アホらしさがなくてはと言っといて野暮ですが、マジメにお話しいたしましょう。

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セックスをアホらしい、と見る視点は、どこから来るか。

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我が国には、「秘め事」という、いいことばがある。

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秘め事が、日常(明るい陽の下)の観点に座ったままの僕らの前に提示されると、常ならぬそれが、笑いを呼ぶ、と。

―――――

一応、そういう理屈を仕立てることが、可能です(もっとも、映画というのは、暗闇の中のものですが)。

―――――

やってる最中の「ポーズ」なぞを考えても、

―――――

もし、他人として「それ」を見かけたら、笑いだすかもしれません。

―――――

そのくらい、あれは、「変なことしてる」と言って、いいんですね。

―――――

やーい、ヘンなこと、してるー、

―――――

…と、

―――――

子どものような、素直な「面白がり」が、足りないのだ。

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思えば、ロマンティック・コメディにしてセックス・コメディを多く作った達人・ビリー・ワイルダーが描いたのは、マリリン・モンローにしろ、シャーリー・マクレーンにしろ、子どものように「純」な女たちだった。

―――――

そういう女たちに「触れて」、ジャック・レモンやトニー・カーティスは、スケベ根性の男から、素直な「人間」へと、変貌を遂げるのです。

―――――

この映画で、ジェシカ・アルバは、どっか、「かなぐり捨ててない」。

―――――

演出・脚本もまた、「はだかの人間」を見つめて「底抜けに笑う」視野に乏しい。

―――――

つまり、「くだらない」一番の原因は、なんと「本当は、ばかばかしくないのがイイと思っている」からだろうと思うんです。

―――――

春信の春画は、性器の描き方が、実にていねいで、その上で、描かれている光景が、実に「おおらか」。

―――――

やーい、ヘンなことしてるー、の絵なんですが、

―――――

それを描いてる春信自身を、第三者が見たら、「わーい、ヘンなことかいてるー」と、言われたに違いない。

―――――

そのくらい、熱のこもった絵なんです。

―――――

一生懸命に作るなら、ぜひ、とってほしい「態度」がある。

―――――

ジェシカちゃん。

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一度でいいから、ぜんぶ捨てたとこを、見せとくれ。

―――――

「こんなジェシカが見たかった!」っていうCMのセリフが泣くよ、トホホだよ。

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Jack

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生きざまを見ろ!/「レッドクリフ Part Ⅰ」

例えば…

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織田信長や坂本竜馬の物語を描くとき、どうするか。

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幾多の大作家が、彼らの人生に興味を持ち、挑戦し、描いてきた。

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現実の歴史を生きた彼らには、ドジだったり、だらしなかったり、思わぬところで間抜けだったりした面があるはずだと思いますが、後世、今の世になると、そういう部分は、あまり伝わらずに、はしょられております。いや、

―――――

そういう部分さえも、敢えて付け加えられ、彼らの真摯(しんし)な生き方に、色を添えるものとして、つまり、本来「お馬鹿」だったりする部分でさえも、「ダンディズムの一環」として、伝えられることになるのです。

―――――

さよう。

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この映画を見直すとき、「ダンディズム」とは、なんなのかを考えることが、キーになると思われます。

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「レッドクリフ Part I」

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三國志最大の山場、「赤壁の戦い」。

二世紀末、後漢の世。

丞相曹操(そうそう)は、若く弱気な皇帝を差し置き、実権を握り、呉の孫権と蜀の劉備の領地を狙う。

一度は敗北し、追い詰められた劉備は、軍師・諸葛孔明(金城武)の発案で、呉の孫権と結ぶことに。

自ら使者として呉に赴いた孔明は、将軍・周ユ(トニー・レオン)の人柄に、深く心打たれていく…。

だが、親交を深める間もあろうばこそ、

揚子江をさかのぼる曹操軍八十万は、孫権が陣を敷く赤壁へと、迫りつつあった…

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えーとですね、

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木村拓哉、福山雅治とか、岡田准一とか、パブリックな場所に出ると、ひとことも発しなくとも、立ってるだけでもう、「その世界の住人」になっている人がいるでしょう?

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このとき、彼らが作り出す「その世界」に、僕らもまた、巻き込まれています。

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ここで言うダンディズムを、男の「理想主義」と言い換えてみると、

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このダンディズムというものが、すなわち「理念」主義である、と分かる。

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理想主義とは理念主義のことであり、理念とは、ごたまぜや混沌を嫌うものです。

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どこまでも、言いたいことだけを言い、つけ入る隙がありません。

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反論なぞ、もってのほか(これがつまり、フェミニズム流にいう、「男尊女卑」です)。

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理念とひとくちに言っても、様々なかたちがあり得ますが、

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ジョン・ウーの描く男たちは、みな、邁進(まいしん)主義です。

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ひたすら己れの自戒に忠実で、死をも恐れず戦い、突き進む(このとき、「描かれる死」は、決してむごたらしいものでなく、まるで宝塚の舞台のように、華麗な生きざまに、花を添えるものに過ぎない)。

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生きざま?

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そう。

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「生きざま」とは、まさに、理念的な言葉です。

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何しろ日本語には、もともと、「死に様」という熟語しか、なかったのですから。

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死の瞬間を見つめる、研ぎ澄まされた視線で、同じように「生きざま」を見つめる。

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生きているあいだには、様々な「カッコ悪さ」がありますが、それを脇へ押し退けて、生きる中に、スタイリッシュなカッコ良さを見い出そうというのです。

―――――

こうして綴ると、ジョン・ウー映画が、「アクション映画であり、ダンディズム映画である」のが、よく分かる。

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枝葉はいらない。

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ただ、ひたすら、敵をなぎ倒し、突き進んでいけばよい。

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このとき、「なぜ、敵味方に別れたのか」、という根本的な問題は、消されています。

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そんなウー監督にとって、「三國志」ほど、うってつけのテーマが、ありましょうや?

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なぜ、敵味方に別れたのかは、誰もが知ってる。

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解説の手間要らず。

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「理念主義」は、また、なにものの口出しも許さぬがゆえ、「ポジティヴィズム」でもある、と言える。

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つまり、「肯定主義」であり、なぜ前向きかを簡潔に示していく「実証主義」であり、自らを疑う余地を、自らに与えない、という意味において、「確信(犯)的」なのです。

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このような映画について、分析的に見るのは間違っている。

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三國志らしく、登場人物全てに、なんらかの見せ場(台詞のほとんど無い中村獅童さんも含めて)がある。

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よくもここまで、原点を整理整頓したものです。

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ですが、ただ一点、述べるなら、

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この簡潔にして整頓された描写というのは、ハリウッド伝来のものでしょう。

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現代中国が、ハリウッドで活躍する男を呼び寄せてまで、これを作った背景には、何か「意味」があるのでしょうか。

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国民的な物語を、今の時代に作ったことの、その意味は?

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急ぎますまい。

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ダンディズムの完成は、「Part Ⅱ」に引き継がれる。

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ちっともダンディでない実生活を過ごしつつ、完成品を目にするとき、

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混沌・猥雑な中国が、このスタイリッシュな映画を持とうとする理由について、

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思い巡らす機会も来ると、思われます。

(いや、だから、そういう見方は、アクション映画の見方じゃあない、っての)

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Jack

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またまた、学者ぶっちゃって/「ブタがいた教室」

何かの本で、ドストエフスキーは菜食主義者だった、と読んだことがあります。

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あるとき、彼が、カツレツを食っていた、と思いねぇ。

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旨い、うまい、と。

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しかし、さすが文学者、

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肉を口に持っていったところで、フと気付くんですね。待てよ、と。

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これは、農民が、額に汗して、懸命に育てたブタだ。

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それを、俺は、ただ、なんの苦労もなく、旨い、うまいと食うだけだ。

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なんとまぁ、ブルジョア的な愉しみよ、

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結局、農民自身の肉を搾取し、むさぼり食っているのと、おんなじではないか!

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で、そう考えて以来、肉食をやめちゃったというんですが…

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野菜だって、農民が苦労して作ったものに変わりはないので、この話の信憑性は、ちょっと疑わしいかもしんない。

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この逸話から、ひとつ、学ぶことがある、とすれば、

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人間という生き物は、「言語を操る」がゆえに、余計なことを「意識する」ということです。

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「ブタがいた教室」

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時は4月。

とある小学校の6年2組。

担任の星先生(妻夫木聡)が、ある日突然、クラスに、子ブタを連れてきます。

「先生は、このブタを、みんなで育てて、最後には、食べようと思っています」

子どもたちは、興味津々。

なにより、子ブタが、かわいいのです。

いいじゃん、クラス全員で、育てよう。

このブタに、名前を付けよう。

いや、待った。

最後には食べるんだから…

星先生は、ちょっと反対しますが、子どもらは、俄然、乗り気。

結局、子ブタは、「Pちゃん」と名付けられ、子どもたちの熱心な世話により、すくすくと、成長していきますが…

―――――

同僚の先生(田畑智子)は、この授業に懐疑的な意見を示し、親たちの中からも、戸惑う声が…

―――――

ところで。

―――――

あのですね、

―――――

わたくし、馬肉を食べる、というのが、駄目なんです。

―――――

それほどの「馬ファン」でもないんですが、昔、ホワイトストーンというサラブレッドの、引退レースに連れていってもらったことがありまして…。

―――――

「馬って、なんて、きれいなんだろう…」

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いたく感嘆した記憶が、今も脳裏に焼き付いて、離れません。

―――――

それから、これは、わたくしの知人の話しですが、

―――――

えらく高い日本料理の店に、招待されたことがある、と。

―――――

で、鯛かなんかの活け作りが出たそうなんですが、

―――――

「駄目だった」

「?」

「食えなかったんだよ。別に、サカナは苦手じゃないんだけど…」

「活け作りが駄目だった?」

「そう、船のかたちの大皿に盛られて、出てきたんだけど、あたまと尾っぽが付いてるわけ」

「ほおほお」

「でさ、席順のせいで、たまたま、そのあたまと、正面きることになったんだよね」

「?」

「死んでないわけ…まだ、生きて、口をぱぁくぱぁくって、動かしてんのさ。で、体だけ、刺身ンなっちゃってる…」

「ふむ」

「その鯛と、こっちは、目が合ってんだぜ? 招待してくれた方は、『さぁ、どんどん、活きのいいうちに、召し上がって』なんて言うんだけどさ、ぱぁくぱぁくだよ? 箸なんか、伸びないっつの」

―――――

「死んだもの」しか、食えない。

―――――

…というのが、僕を含めた多くの方の、食に対する態度でしょう。

―――――

一方、トロのお寿司を旨そうに食べている人に向かって、

―――――

「それは、死体の一部ですよ」

―――――

などと言ったら、あなたは、あたまをはたかれるでありましょう。

―――――

これらは、いずれも僕らにとって、

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「言語的知」というものが支配的であり、なおかつ未熟であるがゆえに、起こってくる問題です。

―――――

言語的知の支配は、「食べる」という、生物にとって、最も基本的であるはずの行為にまで、及んでいます。

―――――

この支配の裏面、すなわち、「食べているものは、死んでいるものである」という、厳粛な言語的事実の裏側にあって、「生きる僕ら」を支えている、ある「行為」がありますが、それは、なんでしょ。

―――――

はい、それは「性的な行為」です。

―――――

「食べるものは、死んでいる」

―――――

「これから、相手の女(男)と、生きていることを、確かめ合う」

―――――

この二つは、表裏一体と言ってもいい関係にあり、言語的知でありながら、「生きる」ことに直接関連しているがゆえに、誰も、それを、いちいち、口に出しては言わない。

―――――

「性」と「食」に関するタブーというのは、血肉に通じることであるため

(つまり、モダンリビングに住み、マイカーに乗り、洒落た衣服を着こなすことを、全部はぎ取ってしまう大問題であるがゆえ)、

言語によって自分をかたち作り支えている「大人」たちは、それを、口にしないのです。

―――――

このおかげで、社会というものは、おおむね、騒ぎなく成り立っている。

―――――

しかし、子どもらには、これら二つの柱のうち、「性」の問題が、タブーとしてありません。

―――――

「タブー」というのが在ることについて、普通、僕らは、「性」を通じて思い知る。

―――――

性について知るので、「生きる、とは、なんなのか」に、思い当たる、と申し上げてもよいでしょう。

―――――

しかし、その経験がまだない子どもたちに、「生きるとは、どういうことか」を考えさせる授業とは…

―――――

この映画は、実際に大阪の小学校で行われた出来事を描いています。

―――――

賛否両論巻き起こったといいますが、無理もない。

―――――

学校が、「まっとうな社会人」をただ育てるだけの場所だとしたら、これは、明らかに、その大枠を逸脱してる。

―――――

つまり、ひじょーにラジカルな授業だった、と言えそうです。

―――――

主演の妻夫木さんが、いい。

―――――

ほとんど演技らしい演技をしないんですが、かえって「教育の理想と根本を真剣に追う」姿が、伝わってきます。

―――――

脚本には、子どもたちの台詞部分が、空欄にしてあったという。

―――――

つまり、子役のみんなは、ドラマとしてでなく、現実の問題に置き換えて、この授業に対する自由な発言を求められた、ということらしい。

―――――

星先生が見守る中、次々と手が上がる。

―――――

「Pちゃんを食べる」
「食べない」

―――――

子どもたちの意見が、素朴で率直であるがゆえに、やり取りは、スリリングでさえあります。

―――――

ここには、通常の意味での「映画的興奮」は、ない。

―――――

それも道理でしょう。

―――――

非常に稚拙なやり取りとして、「根源的」議論を見せられるわけですから、「大人として(タブーをよく知っている「はず」の者として)」、どう思うか、が問われるのです。

―――――

この、稚拙で、そして極めて根源的な議論を見るうち、ここに欠け落ちている、重大な問題があるのに気付きます。

―――――

それは、「神さま」の存在です。

―――――

この映画、さんざん議論をあおり、見る者の、知的好奇心をくすぐりながら、どこか、はぐらかされているような、はがゆい気分にさせられますが、それは、

―――――

「信仰としては、どうなのか」

―――――

という問題意識が、先生にも、生徒たちにも、完全に欠落しているため、と思われます。

―――――

僕が気付いたのは、自分が一度、神さまに会ったことがあるからですが

(あるんですよ、本当に。統合失調症にかかるとは、そういうことです)、

そういう経験があるか、または、普段から○○教の熱心な信者であるとか、

―――――

そうでもなければ、この根本には、気付かぬまま、素通りしてしまうかもしんない。

―――――

この映画の元となった授業を企画した先生、それを受けた生徒たち、さらには賛成・反対を唱えた大人たち、そうして、なによりそれを映画に仕立てた人々が、

―――――

一様に考えていたことは、「命の重さ、って、なんだろう」ということだと思うんですが、観客として参加した僕の感想は、ちと、違う。

―――――

本当に問われていたのは、

―――――

「どういう“理念”(ことば・言語・信仰)のもとに、“命”と言うのか」、

―――――

という問題だったのではないでしょか。

―――――

理念なき、つまり中心部となることばが見つからぬまま、「命の重さ」について、議論化しようとする子どもたちの話し合いは、空転し、なかなか結論に至らない。

―――――

中心のない議論なんですから、当然です。

―――――

中心、すなわち根本的な「価値観」を持たぬ人々が、何かを追求しようとするとき、大人、子どもを問わず、これほどに当惑させるものなのか…

―――――

一頭のブタが投げかけるクエスチョンとは、

―――――

「なぜ、我々は、中心となる理念を持たずに、安定した制度・社会を構成出来ているのか」

―――――

ということだったのではないでしょか。

―――――

気が付くと、いちばん自由に振る舞っているのは、はかない命かもしれないブタだったりするんですね。

―――――

(なんのために生まれてきたか、が分かっている生き物と、それを問いかけることしか出来ない生き物では、はて、どっちが幸せと言えるでしょ)

―――――

That's 「P」edantic.

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Jack

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約束/「相棒-劇場版-絶対絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン」

「HERO」の映画版は、どうでした?

―――――

よかったですか?

―――――

僕は「まだ」見ていないんですが、この映画を見て、

―――――

うん、「HERO」「も」、特に映画版を見て「確かめる」必要は、ないかもな、と

―――――

そう思いましたです。

―――――

「相棒-劇場版-」です。

―――――

都内某所。

鉄塔に吊るされた、男の絞殺死体。

近くの壁には、赤のペイントで、「f6」の殴り書きが。

続いて起こる、連続殺人。

警視庁・特命係の杉下右京警部(水谷豊)と亀山薫巡査部長(寺脇康文)は、一連の事件に共通点があることを見つけ出し、犯人の特定を急ぐのですが…

折しも、首都東京は、衆議院議員・片山雛子(木村佳乃)が発案し推し進める、「ビッグシティマラソン」の実行に向けて、動き始めておりました…

―――――

犯人の残す「謎の落書き」の意味。

―――――

次々とヒントを残して、愉快犯的に行動する相手の不気味さ。

―――――

東京を縦横に走る「ビッグシティマラソン」を、クライマックスにもってきたところ。

―――――

これらは、いずれも昔から、大掛かりなスリラー映画では、お馴染みのものであり、

―――――

見慣れた人にとっては、ワンパターンの、「お約束」を踏襲している、と映るでしょう。

―――――

ですが、これを単に、「ありきたり」とケナして済ます方には、「いや、そんなに、コトは簡単じゃないです」と、申し上げたい。

―――――

この映画の本当の目的は、ミステリを解くこと、事件を解決することではない。

―――――

容易に推測のつく「仕掛け(トリックと呼べるほどのものではない)」が重要なわけではないようです。

―――――

では、この作品が、本当に大切にした、ポイントは、なんでしょう。

―――――

今回は、そのお話しを軸に、「テレビと映画の関係」を探ってみます。

―――――

「踊る大捜査線 THE MOVIE」や「交渉人 真下正義」、さらには「LIMIT OF LOVE 海猿」もそうでしたが、この映画も、観客動員に見合うだけの「映画的興奮」を備えているとは思えません。

―――――

ここで言う「映画的興奮」とは、完全に「非日常」に即したもののことを言っています。

―――――

僕のような、エンターティンメントについて幾分か保守的な観客は、映画というものに、「非日常へ連れていってくれる快感」を求めます。

―――――

映画とは、暗闇の中で展開される「夢」であり、そこでは、人は、普段の自分のことなど忘れて、思い切り「夢の世界」に没入する。

―――――

「トリップする」わけですね。

―――――

映画というのを「暗闇の世界への、2時間の旅」と、ロマンティックに申し上げても、いいでしょう。

―――――

いや、待てよ…

―――――

いいんでしょうか?

―――――

ここに、「映画としての、映画らしい映画」を求める僕らと、

―――――

「テレビから地続きの、日常の延長としての映画」で満足する方々との「差異」がある。

―――――

ハリウッドにも、多少、その傾向が見えますが、「テレビドラマの映画版」というやつは、現在の日本映画界で、無視できない存在になっています。

―――――

再び申し上げますが、このような傾向を、単に、「映画の凋落(ちょうらく)」として、嘆くとき、

―――――

現代日本に暮らす自覚を強く「持たされている」多くの人々にとって、

―――――

なにが痛快なのか、

―――――

ということが、無視されている気がします。

―――――

「日常に押し込められている」気がするのは、僕らだって、同様ですが、

―――――

何をもって、それを解消するか、という態度が、「映画らしい映画」を求める人と、「テレビの延長としての映画」に向かう人の態度の違いだと思う。

―――――

ヒットする「テレビ拡大版映画」の定石を見ていくと、これら映画に向かう観客の多くが、

―――――

「自分たちの日常に“価値”を見い出してくれるものを捜している」

―――――

というのが、正直なところではないでしょか。

―――――

いや、違うな。

―――――

日常に価値を「付け足してくれる」ものを捜しているのではないだろか

(「純粋な映画」好きを自負したい、と思うとき、「テレビ拡大版映画」をからかいたい、という嫌味な誘惑にかられずにいようとするのは、たいへんに難しい)。

―――――

この映画は、ミステリの体裁をとっていますが、その底には、推理モノを離れて、きちっとした、「テーマ」があります。

―――――

「現代日本に暮らすものとして、みんなに、これを訴えたい」

―――――

という、明確な意図が、誰にも分かる形で、見えるのです。

―――――

言っちゃいましょう。

―――――

そのテーマとは、「この国のかたち」であります(司馬遼太郎さんの、よく使う言葉でした)。

―――――

「国」とは、いったい、なんなのか。

―――――

「社会」って、どういうものか。

―――――

僕らは、普段、暮らしながら、そんなもののことは、考えません。

―――――

しかし、僕らが、考えないでいるあいだも、政治家や学者が、どんどん勝手に議論を進め、社会や国には、「僕らの預かり知らないうちに」、枠がはめられ、制度が置かれ、腹立たしい「上部構造」が、出来ていたり致します。

―――――

知らないうちに、経済危機が起きている。

―――――

知らないうちに、血液製剤のせいで、AIDSに感染させられている。

―――――

妻と赤子が乱暴され、殺されても、裁判所は、なかなか被害者の味方になってくれない。

―――――

このようなとき、僕らは、「なんと、許しがたい、恥ずかしい“世の中”に暮らしているのか」と、

―――――

やりきれない気持ちになったりする。

―――――

この映画は、そうした、僕らがときおり感じる「腹立たしい社会への、虚しき怒り」を、いっときでも、「解消させよう」とする目的を、持っている。

―――――

そういうところに、観客は、敏感です。

―――――

ポイントは、ですね、

―――――

例えば青山真治監督の作品のような、「文芸性」には、近寄らない、ということです。

―――――

「沈潜した時間の中に、どっぷりと浸かってもらって、ひたすら、考えてもらう」

―――――

などというのは、「民放テレビ的」ではない。

―――――

話題にしたいのは、あくまで「ワイドショー的」な観点から見た、問題への、「痛快な」発散なのです。

―――――

テレビというのは、問題を嗅ぎ付け、暴きたて、「嫌な世の中になりましたねぇ」などと、親しげに、視聴者にすり寄るのは、お得意ですが、

―――――

非常に身近な分、それが持つ「問題へのアプローチ」の仕方も、テレビサイズに限定される、と言いますか、

―――――

「発散の度合い」が、小さく、「幅が狭い」のです。

(最近のテレビは、大きいですが、それでも)

―――――

リビングに座って、モニターを見ているだけでは、自分がいま一瞬感じた「憤(いきどおり」や「問題意識」が、誰かと共有されているのか、分からない。

―――――

分からないでいるうちに、画面はコマーシャルに移っています。

―――――

ま、そんなものかな。

―――――

それが、大方の視聴者の「とりあえずの結論」でしょう。

―――――

和泉聖治監督も、脚本の戸田山雅司さんも、それは、ご承知のはずです。

―――――

この映画は、そんな、「たぶん、同じように思う人が大勢いるだろうけど、確信は出来ないな」という視聴者たちに(それが、現代のテレビの“弱点”です)、「たしかに、あなたの感想は、共有されてる」と、握手を求める内容です。

―――――

この映画の宣伝は、欲求不満気味の視聴者たちに、強く訴えかけるものでした。

―――――

「あなたの中にも、怒りというのがあるでしょう? それ、発散しに来ませんか」

―――――

と、言っていました。

―――――

そのような視点に立てば、この作品は、プロモーションから、最後のエンドロールに至るまで、

―――――

大成功を収めた、と申し上げてよいでしょう。

―――――

ここに納められた、「テーマの描き方」は、「浅薄だ」と言えるでしょうか。

―――――

例え浅薄でも、さまざまな「スリラーの約束事」に沿って進むこの映画は、「テレビの視聴者」たちに、「ほら、こんなに、同感する人がいるじゃない」と、呼びかけるのに、役立っている。

―――――

テレビ視聴という行為が、昔ほど「共同体の結束」を高める役に立たなくなっている今、

―――――

テレビ → 映画、という展開で、「共感と結束感を高めよう」という戦略に、文句を付ける筋合いは、ない。

―――――

映画を見る観客たちには、「ほら、きみは、ひとりじゃない」という、「お約束」の約束事が、しっかり渡されているんですから。

―――――

(見るときは肩の力を抜いて、書くときは指先に力を込めて)

―――――

Jack

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結婚式だ? なんだ、そりゃ?/「幸せになるための27のドレス」

何度も申しておりますが、わたくし、1965年生まれです。それなのに、

―――――

ああ、それなのに、

―――――

それなのに、

―――――

今まで、わずか一回しか、「結婚式」というものに、出たことがありません。

―――――

くやしいか?

―――――

無念なのか?

―――――

いやいや、オンナムスメじゃあるまいし。

―――――

なに? 一回だけ出た式のこと?

―――――

自分の式では、ありません。もちろん。

―――――

花嫁の友人代表として、スピーチまでしたんですが(ぜんぜん緊張しませんでした。「俺って、意外と度胸座ってるじゃん」と思いました)、その二人、なんと、2週間もたずにスピード離婚。

―――――

そのせいでもないでしょうが、以来、結婚式というものに、まったく縁がございませんで、自分でもやったことが無きゃ、呼ばれもしない。

―――――

つまるところ、それが、どれほど素晴らしいものか、よく分かっていないのです。

―――――

「幸せになるための27のドレス」

―――――

テーマは、ずばり、「結婚」です。

―――――

いや、違うな、
人生の大イベント、「結婚式」が、テーマです。

―――――

アウトドア用品会社で社長秘書を勤めるジェーン(キャサリン・ハイグル、「グレイズ・アナトミー」のイジーです)。

そして、彼女が毎週読んでいる「とある結婚式」のレポートを、新聞に連載するコラムニスト、ケビン(ジェームズ・マースデン、「魔法にかけられて」のエドワード王子です。この人たち、もっとスターになりますよ)

この二人を主役に、話は進む。

友達の結婚式に喜んで出るジェーン。

結婚式、大好き。

式に出るたび、新調したドレスが、実に27着も。

そのジェーンが、昔から密かに憧れる社長のジョージ。

そして、そのジョージが、一目惚れしてしまう、ジェーンの妹、テス。

コメディの定石通り、人物関係は、入り組んでる。

さて、最後に最も幸せになるのは、だーれ?

―――――

キャサリン・ハイグルっていう女優さんが、いい。

―――――

1978年生まれだそうですから、今年で、ちょうど30才。

―――――

そのくらいの年頃の、いくらか保守的になっている、「揺れるオンナ心」を表現して、余すところ、ありません。

―――――

その彼女が、次第に颯爽(さっそう)としてくるのが、見もの。

―――――

マースデンと二人して、歌って踊る場面もあって、見所の1つです。

―――――

しかし、くどいですが、どういう表現をされようと、僕にとって、「結婚とは、なんぞや」とは、まったく手に余る問題でして。

―――――

今回は、その僕の「苦闘の跡」を、ご覧下さい(はずかしい)。

―――――

これは欧米、特に英米に限った話しですが、ジェイン・オースティン以来と言いますか、

―――――

「女の生き方小説」のフリをして、実は「結婚するのかしないのか小説」

―――――

っていう、なにか、「伝統」のようなモノがあるでしょう?

―――――

「ブリジット・ジョーンズの日記」とか、「プリンセス・ダイアリー」とか。

―――――

結婚と恋愛についてのディスカッションが、必ず入る。

―――――

結婚が最大の人生の難問として描かれてる。

―――――

「華」でなく、難問、難題。

―――――

東洋人の僕に言わせてもらえば、

―――――

「したいのか、したくないのか、どっちなんだよ?!」

―――――

で、オシマイの話題なんですが…

―――――

それが、生きる上で、「最大にして、唯一の悩み」だって言うんですから、

―――――

うーん…

―――――

はっきり言って、それを「大問題」とするかどうかは、男性(洋の東西を問わず。あー、イスラムはどうだか、知らないけどさ)については、当てはまらない、と思うのですが…

―――――

うーん…

―――――

ええい! 断言しよう!

―――――

断言しますが、オトコにとって、結婚とは、常に「二義的な問題」である!

―――――

なぜ、「二義的」か、というと、ですね。

―――――

結婚式というセレモニーに当たって、「女性」が、単なる象徴、シンボルと化してしまうからです。

―――――

隣に居るのは、俺が、最も個人的になって愛した誰か、ではない。

―――――

あくまで、その宴にとっての主役であります。

―――――

しかも、その宴とは、単に彼女の門出を祝うものではない。

―――――

それは、彼女の「社会的な固定化」を促すものである!(なんだぁ? 上野千鶴子せんせみたいなこと言って)

―――――

そう聞かされて、それでも貴女は、結婚したいか?

―――――

いや、「結婚式に出たい」だろうか?

―――――

ナニ? 子供みたいだ? 違います。「純粋」つって。

―――――

まだくどいですが、この映画を見て、久しぶりに「結婚について想う」まで、僕は、結婚についても結婚式についても、まーったくアタマのラチ外でした(だから、子供じゃなくて「純粋」なの!)。

―――――

結婚、ねぇ…

―――――

「フォー・ウェディング」でも、「恋人たちの予感」でも、「ラブ・アクチュアリー」でも、さらには、我がクニのテレビドラマ「やまとなでしこ」でも、「結婚とは、なんなのでしょう?」という問いかけが主題になっておりました。

―――――

いつも思うんですが、こういうの、創作家たちの立場として、ちょっと、ずるいんだよな…。

―――――

「結婚」に対して、自分なりの「明確な答え」を出そうとせず(そりゃそうさ、という声も聞こえてきます。そんな、恐ろしいことを!)、煙に巻いて、「はい! あとは自分で考えてネ!!」なんてさ!

―――――

まとめ方としちゃ、巧いやり方かもしれないけど、やっぱり、ずるい。

―――――

結婚式の経験が少なく、結婚の経験がゼロの僕は、こうした映画を見るたび、ますます結婚疑念に陥ります。ええい! なんとかしてくれい!

―――――

物理学者プリゴジンは、現代科学が「自然」について、確定的な表現をとるのをやめるべきだと主張し、なぜなら自然とは、もともと「ゆらぎ」をはらんでいるからだ、と言った。

―――――

おかしなことに、彼は、「ゆらいでいることの“証明”なら、いくらでも、出来ますよ」と、言うんです。

―――――

男女関係の「自然な」帰結が「結婚」だとして、創作家たちが、それを描くとき、

―――――

一向に「断固たる態度」を見せようとしないのは、

―――――

結婚というものが、少しも確定的なものでなく、常に、「ゆらいでいる」から、なのだろか

(援用しながら、こういうことを書いていること自体、いかに結婚が、僕にとって「絵空事」かを表してます)。

―――――

よく出来た映画なのに、僕がここまで戸惑う(「退屈した」とは言うまい。そりゃ嘘だから)理由は、いったい、なんなのか。

―――――

それは、まずもって、大人になる、ということが、「セレモニーを、順序よく、こなしていく」ことだったりするからです。

―――――

結婚式というやつも、しっかり、これらセレモニーの中に入ってる。

―――――

そのセレモニーについて、どこか「のほほん」と描く「余裕」を感じるので、困るのだ。

―――――

こうした「セレモニーの有り様」を根底から疑ってかかる人は、子供扱いされるか、狂うか、しかない。社会には、そういう人の居場所は、ない。おっと、

―――――

え? 一気に重いこと、書いている?

―――――

でもないですよ。

―――――

本人、意外と気楽です。

―――――

狂うのは、一度やっちゃったから、今度は、子供扱いされる番だな。

―――――

もう一度、貴女にお尋ねします(さぁ、子供の無邪気な質問タイム)。

―――――

「結婚式に出たい!」ですか?

―――――

(何年かあとに、これを読み返したら、僕は、何を想うだろ)

―――――

Jack

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第三の男/「ハンサム★スーツ」

むかしむかし、自分が中学生くらいの頃だったと思いますが、「コピーライター」という仕事があることを、初めて知ったとき、

―――――

「世の中には、なんて不思議な職業が、あるんだろう」と思ったものです。

―――――

単なる「文案家」とは、違うらしい。

―――――

「商品の“効能”を説明する人」?

―――――

いや、そういうわけではないんだよな、

―――――

あ、いやいや、そういうこともするかもしれないが、それだけではなさそうだ。

―――――

この職業の不可解なところというのは、どんなに解読してみても、

―――――

「それだけではなさそうだ」

―――――

と、付いてくるところ、だったんです。

―――――

商品を売る企業の「企業理念」なんかを、代弁したりもするらしい。

―――――

今では、当たり前のこととして、みなさん、ご存知だと思いますが、

―――――

「企業理念を語る」、なんていうこと自体が、まだ、新しかった。

―――――

しかし、「それだけではなさそうだ」。

―――――

さらに――これも、今では、ちょっと隔世の感がありますが――同時代の小説家、学者、詩人、などといった人たちが、コピーライターの発言に注目し、――なぜ? 企業理念を代弁してるだけなのに?――

―――――

「時代を形作る存在」として、取り上げようとしたことです。

―――――

そういう視点から、コピーライティングに対する批評を試みる雑誌さえ、ありました。

―――――

しかし、

―――――

どんなに注目され、批評されようと、なぜか、「コピーライターという存在」が、「解体」されたような印象は、ありませんでした。

―――――

そこには、常に、

―――――

「それだけではなさそうだ」という、「余白」が付いていたからです。

―――――

で、

―――――

作家の橋本治さんは、いみじくも言いました。

―――――

そういう存在のことを、「トリックスター」と呼ぶのだ、と。

―――――

「ハンサム★スーツ」

―――――

大木琢郎(塚地武雅)は定食屋「こころ屋」を経営する独身男。

ある日、超美人のパート希望、寛子ちゃん(北川景子)が、やって来て、店は一気に華やぎます。

琢郎は心トキメキますが、同時に葛藤に悩まされる。

彼のアダ名は「豚郎」。

今まで、女のコにフラれてばかり。

もろにブサイク男なのだ!

そんな彼に、「紳士服の青山」が声をかける。

「人生を変えるスーツ」は、いかがでしょう?

その名も「ハンサム★スーツ」です!

琢郎は、なにがなんだか、わからぬまま、その「スーツとやら」を試着しますが…

―――――

で、塚ちゃんが谷原章介さんに、なっちゃう話。

わはは! なんだ、これは!

―――――

いーじゃないか。

―――――

小柳トムさんや佐田真由美さん、大島美幸さん、みんな、いいです。

―――――

「初期設定(基本設定)」と「オチ」だけで、成り立ってるような映画ですね。

―――――

それだけで、一気に見せちゃうんだから、脚本と演出の、力量を感じます。

―――――

特に脚本家については、書くたびに力量を上げてらっしゃる気がします。ところで、

―――――

なんで「ハンサム・スーツ」じゃなくて、「ハンサム★スーツ」なのかなぁ。

―――――

「ラブ★コン」のときも「★」だったなぁ。

―――――

あれは、原作があるけども、今回は、オリジナル脚本。

―――――

よっぽど「★」が、気に入ったんだろうなぁ。

―――――

これから、ややこしいことを書きますので、その前にひとつ、当てずっぽを言わしてください。

―――――

この映画にインスピレーションを与えたのは、韓流コメディの傑作「カンナさん大成功です!」じゃなかろうか。

―――――

ブサイクが美しくなって、チヤホヤされる、っていう設定が、「そのまんま」です。

(これが、当たっているとしても、非常に上手な翻案です)

―――――

では、本題。

―――――

この映画、「トリックスターについての映画」だ、とも読めるように思います。

―――――

琢郎は、ハンサムになって、大人気者となるが、そこには、ちょっとした細工がある。

―――――

この、「ちょっとした」――しかし、なかなか解けない――細工がある、というのが、トリックスターを想起させるわけなんです。

―――――

トリックスター。

―――――

かつてのトリックスター = コピーライターについて、語りましょう。

―――――

「自分は、トリックスターかもしれない」

―――――

そういう視点を、コピーライター自身が「自覚」として持つようになったとき、

―――――

コピーライターという職業は、周囲からの圧力によって解体されたわけでもないのに、次第に、活力を失っていきました。

―――――

あとになって、僕は、ひとりの「ポップカルチャーに関心を寄せる若者」として、思いました(ひと事なら、なんとでも言えるものです)。

―――――

自由な存在であったコピーライターは、自らを、「トリックスターという鋳型(いがた)」に、はめ込んでしまったのではないのか、と。

―――――

鋳型にはめ込むことで、トリックスターについても、「コピーライターという存在」についても、形骸化が起こったのです。ところで、

―――――

直接の関係は、見えにくいんですが、「トリックスター」と言うとき、僕が真っ先に思い出すのは、映画「第三の男」です。

―――――

オーソン・ウェルズ扮するハリー・ライムは、悪魔のような卑劣漢でありながら、恋人から情熱的に慕われ、文明論めいた警句を吐いて、自分の行動を正当化する知性を持ち合わせる。

―――――

彼の前では、何が正義か、不透明になり、ベルリンの治安を守ろうとする軍の存在も、単なる「お仕着せ」としか、見えなくなる。

―――――

重要なことは、その人物が「トリックスターである限り」、やがて潰れる運命にある、と明示している点でして、これを美化せずに「本質」に、迫ろうとしているところが、「第三の男」という映画の、古くならない点だと思う。

―――――

いたずら好きの悪気を、多少なりとも隠さずに持つトリックスターは、決して、「長持ち」しないのです。

―――――

さて、いま挙げた内容について、誓って申しますが、悪意は、全くないんですが(「悪意をも包括する」ことが無いがゆえに、「トリックスター論」としては、不十分かもしれません)、これを当てはめると、

―――――

「放送作家・鈴木おさむ」は、トリックスターと呼べるだろうか?

―――――

鈴木さんには、トリックスターとして、自分が望む以上の注目を集める、ということは、起きていないように思います。なぜでしょう?

―――――

かつて、コピーライターがそう扱われたような、「現代思想との絡みで、その発言を捉える」などというトンデモナイ事態は、起きていない。

―――――

ゆえに、「仕掛け人」、「黒幕」としての放送作家・鈴木おさむの価値は(いや、どうも、こういう例えは、否定的に聞こえて、よくないな)、長い「旬」を、まだ当分、続けそうだという気がします。

―――――

それは、この才能豊かな文筆家が、「テレビの世界の住人である」、ということと、大いに関係がある、と思う。

―――――

テレビの世界では、「極限まで、先鋭的に鋭くなる」ということが、許されない。

―――――

尖ることは要求されず、「丸みを帯びた表現」が、求められる。

―――――

そこは、「家族」、「仲間」、「友情」、「恋愛」などについて、常に、肯定的なメッセージが求められる世界です。

―――――

なおかつ、「陳腐化」していくことが、許されない世界です。

―――――

どう考えても両立しない、これらの要素を「つなぎ合わせる」ことが求められるので、これを要領よくこなせる人は、なんと、

―――――

自然と、トリックスターとして、鍛えられてしまうのではないでしょか。

―――――

丸顔で「精神的にも丸みを持つ」、トリックスターとは呼べない、現代の「トリック★スター」鈴木おさむさんは、まだ、当分の間、ご活躍なさるでしょう。

―――――

「何が真実なのか」

―――――

といった、単にして純な問題は、この文筆家の論題ではない。

―――――

もし、鈴木さんが、トリックスターとして成立するなら、それは、尖ることが全てであるような感性に対して、

―――――

「大衆」が、現に存在することを、見せつけるがゆえなのです。

―――――

(そうなんだ。

「みんな」とか「大衆」とか呼んだとき、「ジッパヒトカラゲにしていて、不快だ」と意見するか、限りない愛着を見せるか、

それが「普通の」トリックスターと、鈴木おさむの違いなんだ)

―――――

Jack

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